「世界王者になれたはずの男」は黒人差別に蹂躙された… 冤罪で19年服役したボクサー「ルービン・カーター」の生涯(小林信也)
ボブ・ディランの歌
ハリケーンは74年、獄中から『16ラウンド』と題する自伝を出版し、無実を訴えた。これが大きな反響を呼んだ。モハメド・アリら著名人とともに多くの市民が立ち上がり大規模なデモも行われた。
後にノーベル文学賞を受賞するボブ・ディランが76年に発表した17作目のスタジオアルバム「欲望」は、ビルボードチャートで5週連続1位、全英チャートでも3位を記録したが、この1曲目に収録されているのが8分33秒に及ぶ「ハリケーン」。ディランがハリケーンの無実を訴えるプロテスト・ソングだ。
〈夜の酒場で銃声が響く〉と始まり、〈権力者によって罪を着せられ 無実でぶち込まれた かつては世界王者にもなれたはずの男〉。ハリケーンの物語は冤罪が晴れるまでは終わらない、と11番までを切々と歌う。
その冤罪は2度にわたって再審請求を却下され、何年も晴らせなかった。再審を認め無実が証明されれば、偽証をでっち上げ、黒人に罪を着せた当時の権力者たちの不正が暴かれることになる。体制側にすればそんなことは阻止されなければならなかった。
だがついに、熱心な支援者たちが新たな証言を集め、不正の決定的証拠をそろえて再審請求し、88年2月になってようやくハリケーンは自由の身となった。逮捕から21年3カ月、すでに50歳になっていた。
99年には、デンゼル・ワシントン主演で彼の半生を描いた映画「ハリケーン」が公開された。
獄中でハリケーンは肉体を鍛えながらつぶやく。
「自分の人生の目的を決めた。体を武器にする」「身を守れない者はすぐに死ぬ」
日本でも元ボクサーの袴田巖が47年7カ月にも及ぶ獄中生活を経て、昨年9月の再審公判で無罪判決を得た。犯人にされた背景には、元ボクサーに対する偏見があったともいわれる。笠井千晶監督が22年も撮り続けた映画「拳と祈り―袴田巖の生涯―」にはハリケーンのインタビューも収録されている。映画公開の約10年前、2014年4月にハリケーンは76年の生涯を閉じた。