彼女はいつも人肌の温かさを求めていた女性だった――62歳で孤独死した女優を作家・五木寛之が振り返る
現代では他人への接触はセクハラだと注意される――。人との距離が広がりつつある今であれば、作家・五木寛之さん(92)が聞いた女優・大原麗子さん(1946~2009)の行動は、人々にどう受け止められるだろう。
五木さんが振り返る「熱い時代」には、「人々は接触し、肉体をぶっつけ合い、口から泡をとばして議論」していたという。そんな時代に生きた女優は、五木さんにどんな顔を見せていたのか。
五木さんの最新刊『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)から一部を抜粋・紹介する。
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不思議な存在感のひと
大原麗子は本当にいい女優さんだった。演技がうまいとか、ルックスが魅力的だとかいうことではない。小柄で声も低くて、決して華やかではない。
しかし、それでいて不思議な存在感を漂(ただよ)わせている女性だった。
私が新人作家だった頃、ある雑誌で彼女との対談の企画があった。少し早目に会場の店にいって待っていたが、一向に本人があらわれない。
こちらも生意気ざかりの頃だったから腹を立てて、帰ろうとしたところへ彼女はやってきた。時計を見ると、30分ちかくおくれている。
当然恐縮して謝るかと思ったが、一向にその気配がない。私の顔を見て、いきなり言った言葉が「やっぱり体温が伝わってくるって、いいね」だった。
なんだそれは、と坐(すわ)り直して話をきいてみると、どうやら新宿で唐十郎(からじゅうろう)の芝居を見てきたところだったらしい。
「もう超満員で坐るところがないの。仕方がないから若い大学生の膝(ひざ)の上に乗っかって観たの。お尻の下からじわっと体温が伝わってきて興奮しちゃった。やっぱり体温が伝わってくるのって、いいね」
まだアルコールもはいっていないのに酔った目がうるんでいた。コロナの時代に、ソーシャルディスタンスが強調され過ぎると、ふとその言葉を思い出す。
熱い時代とコロナの時代
それは熱い時代だった。人びとは見知らぬ相手と腕を組み、デモに行き、シュプレヒコールを繰り返した。
三密を避けよ、とやたら対人距離をとることが叫ばれる今とちがって、人々は接触し、肉体をぶっつけ合い、口から泡をとばして議論しあう。若い仲間同志が殴りあい、批判しあう。
人々は密集し、密着し、密接に行動した。映画館では学生たちがやくざ映画に弥次(やじ)をとばし、「異議なし!」と拍手をした。
舞台から降りて観客と議論する俳優がいた。観客参加の演劇が流行した。
「書を捨てよ、町へ出よ!」
というのが時代の合言葉だった。不要不急の人々が深夜の町を彷徨(ほうこう)した。
そんな時代に女優として生きることは、職業として演技するだけでは十分ではない。生活そのものがスクリーンだったのである。
大原麗子は、そんな時代に生きた女優だったのだ。
その後、何年かして再び会ったときには、彼女の精神がややバランスを失しているような気がした。この人は死ぬとき、きっと独(ひと)りで死ぬのではないか、とふと思った。
彼女はいつも人肌の温かさを求めていた女性だったような気がする。
いま私たちは距離をおいて人と接することを強制される時代に生きている。体温を感じる人間関係など誰も求めてはいない。そんな時代に、大原麗子の言葉が懐(なつか)しく思い出されるのはなぜだろう。
※本記事は、五木寛之『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)を一部抜粋したものです。