「夜霧のハウスマヌカン」元案にそれだけはイヤ… やや語る再スタートと「ランバダ」では「3キロ痩せた」

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亡くなった父の後を継いで鉄工所経営も

「ランバダ」の後、両親が相次いで天国へ旅立った。実家が経営していた鉄工所は5歳上の姉が後を継いだが、その姉も2000年に45歳の若さで亡くなった。

「1997年いっぱいで北島音楽事務所から独立したのですが、マネージャーと姉と3人で頑張るつもりでした。でも半年も経たずに姉の病気が分かり、その2年後に亡くなりました。それまで家業はほとんど手伝ってなかったんですが、社員の方にもうちょっと続けてほしいといわれ、皆さんが引退するまでの7~8年、頑張りました。マネージャーの女の子も経理などをいろいろ頑張ってくれたんです」

 歌手としてのスナックなどの営業も請け負った。甥である姉の子の小島慶太はプロゴルファーとなり、後に養子縁組をして、戸籍上では息子に。今は同じ敷地内で暮らし、孫にあたる慶太の子どもたちからも「やや」「やーや」と呼ばれ、充実した日々を過ごしている。

「芸能活動はそろそろいいかなとも思いましたが、昨年はNHKBSの『演歌フェス』出演もありましたし、今年は年始から三重県の長島温泉でのステージもありました。曲のキーは半音下げていますが、声も昔とぜんぜん変わらないとお客さんは言ってくださいます。できるだけ昔のように歌って懐かしいと思ってもらわなければ、歌う意味がないですからね」

 ドラマ「刑事ヨロシク」(TBS系)の主題歌「ライオンは起きている」で一世を風靡した「朝倉紀幸&GANG」のキーボーディストで、現在は音楽プロデューサーを務める松原ひろしと8年前から同居している。音楽的な刺激を受けつつ、今後も楽しんで歌っていくつもりだ。

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 第1回【郷ひろみに憧れ芸能界に入るも…「親にも言えない」 ややのザンネンすぎた歌手デビュー】では、「スター誕生!」のオーディションから始まった歌手デビューへの挑戦などについて語っている。

デイリー新潮編集部

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