「夜霧のハウスマヌカン」元案にそれだけはイヤ… やや語る再スタートと「ランバダ」では「3キロ痩せた」
ものまね番組にも出演
その後、縁あって北島音楽事務所に所属することになり、「ものまね王座決定戦」(フジテレビ系)にも出演した。ヒマラヤ・ミキ時代に培った平山のものまねは絶賛され、他にも金井克子「他人の関係」や欧陽菲菲「雨の御堂筋」、美空ひばり「悲しき口笛」、弘田三枝子「人形の家」、藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」、そしてかつて憧れだった郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」などを披露した。
「最初の出演で『真夏の出来事』を歌ったんですが、栗貫(栗田貫一)さんに負けました。番組は勝ち上がり方式だったので、最初にプロデューサーに何曲か聞かせるんです。3人分ぐらい用意した中から『最初は平山さんやろうか』と言われたんです」
「ものまね珍坊」(フジ系)の「ご本人と一緒」コーナーで、平山本人と共演したこともあった。
「『ヒマラヤ・ミキってあなたでしょ』って言われたんです。最初はヒマラヤ・ミキのことが嫌だったんですって。でも作詞の橋本淳先生に『それだけ歌われるってことはすごく有名ですごい歌ってことだぞ』と言われたのを聞いて、平山さんも納得されたそうです」
ものまね番組によって、ヒマラヤ時代の活動が昇華したのだ。
「ランバダ」で再び石井明美と
そして1990年に「ランバダ」が日本でも大ブームとなった。哀愁を帯びた曲調に、女性の脚の間に男性が脚を入れて踊る情熱的なダンスが話題になり、レコード会社各社から「ランバダ」カバーが発売された。セールス的に最もヒットしたのが石井明美の「ランバダ」。一方、有線でリクエストが多かったのが、ややの「ランバダ」だった。
「『このランバダを歌ってるのは誰ですか』っていう問い合わせが多かったそうです。当時、テレビに出るときはランバダを踊るダンサーをつけていました。私は『夜霧のハウスマヌカン』も、その後の曲も振り付けは自分で全部やったんですが、ランバダだけはレッスンを受けました。テレビでは必ずペアが踊り、最後に私も絡んで3人で踊る感じ。夏祭りに呼ばれてたくさん歌って踊り、3キロぐらい痩せた記憶があります」
石井の曲は麻木かおる、ややは湯川れい子がそれぞれ日本語詞を担当。味わいも異なるランバダが、日本のバブル末期を彩っていた。
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