“黒幕”の秘書「太刀川恒夫さん」守り抜いた沈黙 「ロッキード事件の片隅にも連座するなど、心休まることの少ない人生」【追悼】

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東スポ社長就任で“照れ”

 6年後、東スポ社長に。お祝いの会には中曽根元首相や当時読売新聞副社長の渡邉恒雄氏らが駆け付けた。社長就任に際し「FOCUS」の取材に「ガラにもないことで」と照れていた。

 90年、当時、東映の岡田茂社長を慕う経営者の集まり「オーケー会」に加わり、請われて世話人を務めた。

「財界」主幹の村田博文氏は振り返る。

「会の発足当時から、メンバーには伊藤園の本庄正則さん、モスフードの櫻田慧さん、ホリプロの堀威夫さんら創業者が多かった。事業を軌道に乗せるまで辛酸をなめた人たちで、太刀川さんが歩んできた苦難と重なりました。太刀川さんにとって気が休まる数少ない場でした。丁寧で言葉少ないが、話は歯切れよい。迫力を感じさせました」

「いつも相手を立てる人」

 2007年、会長に。プロレス界との関係も深い。

 力道山の次男でプロレスラーの百田(ももた)光雄氏は言う。

「父のことを話す時、“お父上は”とおっしゃって敬意と親しみを表して下さり、ありがたいことでした。礼儀が体に染み付いていて口調も人柄も優しい。いつも相手を立てる人。言葉に気持ちがこもっていました。プロレスの将来はどうなるかな、と心配されていた」

 23年9月、名誉会長に。

「父の没後60年の法要にわざわざお越し下さった。車椅子姿でお体の調子も思わしくないご様子だったのに、義理堅いお方でした」(百田氏)

 2月13日、老衰のため88歳で逝去。

 東スポの平鍋幸治社長に「お別れのごあいさつ」を託していた。その中で〈社会人になってからも、やや特異な体験を重ねる中で、ロッキード事件の片隅にも連座するなど心休まることの少ない人生でありました〉と語り、先輩方や友人諸氏に恵まれたと感謝している。

 晩年まで児玉氏やロッキード事件に関して取材依頼を受けるも、沈黙を守った。

週刊新潮 2025年3月13日号掲載

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