「朝青龍が“みのさんには勝てない”と語るほどの酒豪」 みのもんたさんの“豪快伝説”について徳光和夫が明かす【追悼】

エンタメ

  • ブックマーク

超人的な人生

 故・安倍晋三元首相の第1次政権時の秘書官で、参議院議員の井上義行氏(62)もその酒豪ぶりを目撃している。みのさんが「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)で司会を務めていた時のことだ。

「東京・赤坂で朝4時まで飲んだことがあるんです。いつもは大体深夜2時くらいにお開きになるのですが、そのときは俳優の渡哲也さん(故人)も一緒で楽しかったのでしょう。“さすがにやばいでしょ”って、マネージャーさんを呼んで。みのさんを車に押し込みました」

「朝ズバッ!」のオープニングは朝5時半。本番1時間半前まで酒を飲んでいたというから恐れ入る。

「その日は日本テレビのお昼の番組(『おもいッきりテレビ』)にも出演しています。そこからジムに行って1時間汗を流し、少し仮眠をとって、夜(の宴席)に備えたそうです」(同)

 その旺盛な働き方、遊び方は常軌を逸していた。

「サラリーマンでいうと、月々の残業が150時間を超えるような働き方を、あいつは10年ぐらい続けて、なおかつ遊んでもいましたからね。超人的な人生を送ったな、と」(徳光氏)

 もっとも、“超人”も病魔には勝てなかった。5年ほど前に、難病のパーキンソン病に罹患。リハビリ生活を続けていたが、この病は一般に嚥下障害を伴うと専門家は指摘する。

 その影響からか1月中旬、東京都内の焼き肉店で肉をのどに詰まらせて救急搬送。ついに今月1日未明、帰らぬ人となったのである。

「学生だったみのちゃんが泊まりに来たことが」

 みのさんの本名は御法川法男(みのりかわのりお)。1944年8月22日に東京・世田谷区に生まれた。父親の正男さんは水道メーター製造販売を手がける「日国工業株式会社」(現・ニッコク)の元会長である。

 立教中学・高校から立教大学経済学部経済学科に進学。妻の靖子さんは1年後輩で、「放送研究会」サークルで知り合った。

 徳光氏が振り返る。

「僕は独身時代、茅ヶ崎で小さな一軒家に暮らしていました。その家に、学生だったみのちゃんと靖子ちゃんほか何人かが合宿と称して、夏に1週間くらい泊まりに来たことがあってね。その際に、二人の交際を知ったんです」

次ページ:くすぶっていたみのさんに訪れた転機

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。