村上総務相の「県庁不要」どころか不要なものだらけ 人口減の議論を避ける政治家の責任
60年余りで一挙に整備されたインフラの重荷
今後、日本人がキリギリスのように辛酸を舐めることになりかねない最大の原因は、高度成長期から一気に拡大していったインフラストラクチャーである。先の大戦で焦土と化した日本は、高度経済成長期以降の短期間に、インフラの整備をゼロに近い状態から一気に進めた。それは経済が成長し続け、人口も増え続けることを前提とした整備だった。私は少年時代、インフラは将来への投資だという説明を、何度も受けた記憶がある。
その象徴が1962年に策定された第一次全国総合開発計画(全総)だった。1960年に池田勇人内閣が打ち出した国民所得倍増計画を、いわば具体化するためのもので、経済成長の原動力とすべく太平洋ベルトに工業地帯を形成するのが、その中核だった。また、経済成長には社会資本の充実が欠かせないということで、たとえば道路だけで、5年間に4,500億円もの投資が決められ、名阪国道、中央自動車道、東名高速、中国自動車道などの建設が決められた。
全総はその後も、1969年の新全国総合開発計画(新全総)から、1998年の第五次全国総合開発計画(五全総)まで、数年から10年ごとに全部で5回策定された。新全総では新幹線や高速道路等のネットワーク整備に、1977年からの三全総では全国土の利用に、巨費が投じられた。投資規模は国土交通省が制作した資料によれば、新全総が130兆から170兆円、三全総が370兆円、四全総が1,000兆円程度に達する。
だが、こうして整備されたインフラは、そのまま恒久的に使えるものではない。1月28日には埼玉県八潮市で、老朽化した下水道管の破損が原因で道路が陥没する事故が発生した。全国の下水道管は総延長が49万キロメートルといわれ、寿命の目安とされる建設から50年を経過したものは、2023年時点で全体の8%に達し、これが30年には16%に増えるという。
むろん、下水道管はインフラの一部を占めるにすぎない。たとえば全国に73万ある道路橋は、2030年には建設後50年以上が経過する設備が54%に達する。同時期には1万2,000のトンネルの35%、74万キロメートルにおよぶ水道管の21%も築50年を迎える。ほかにも高速道路や鉄道など挙げればキリがなく、やはり高度成長期以降に全国に林立したマンションなども、これからどんどん「寿命」を迎えることになる。
要らないもののために際限ない費用が
そこで国土交通省は、損傷が軽微なうちに修繕等を行う予防保全を推進しているが、現実には地方自治体などの財源不足が理由で、保全措置を講ずることができない場合も多い。
それなのに、今後は「寿命」を迎えるインフラが加速度的に増える。しかも、いうまでもないが、人口が減れば現在あるほどのインフラは不要になる。だからといって、放置すれば危険な状態になるし、取り壊すにも費用がかかる。要するに近い将来、要らないものの安全性を確保したり、取り壊したりするために、加速度的に減少する勤労世代が際限なく費用を投じざるをえないという、考えるだけでも恐ろしい時代が到来する。それこそが人口減社会の行き着く先である。
人口の激減はもはや絶対に避けられない。そうである以上、開発しすぎた国土のなにを切り捨て、なにをどう活かし、社会をどう縮小させていくか、いますぐ国を挙げて議論をするしかない。高速道路や新幹線をさらに建設したり、将来は廃墟になるタワーマンションをいまだに建て続けたりすることは、厳に慎まなければならない。
先の総選挙の選挙戦で、落選した元自民党国会対策委員長(元安倍派事務総長)の高木毅氏は、「私が当選すれば新幹線はすぐに通る」と訴えていたが、政治家がそれを続けていたら日本は確実にもたない。急務なのは社会をコンパクトにするための議論であって、この国を小さく造り変えるためには、もしかしたら全総に費やしたのと同じくらいのエネルギーが必要かもしれない。将来、県庁も要らなくなる――。そういう提言を、いまからでも議論の契機にしたほうがいい。
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