スキャンダル対策で始まった「赤坂もんた会」20年 最後のメンバーが綴る数々の夜と「果たせなかった約束」
3月1日に亡くなったみのもんたさん(80)について、“都市伝説”のように語られていることがある。「赤坂もんた会」なる集まりだ。追悼記事でさらりと触れている媒体があるものの、詳しく書いているものはない。その実態はどういうものだったのか。最後のメンバーの一人であるライターの華川富士也氏が、故人との交流を綴った。
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「みのもんたさん死去」の報道が流れる少し前に、一本の電話がかかってきていた。みのさんのマネージャーからだった。かけ直すと「ニュースが出る前にお伝えしたくてお電話しました」と言って、葬儀は身内だけで行うこと、香典などは辞退すること、お別れの会の予定はないことなど、事務的な発表内容を早口で伝えてくれた。そしてひとこと、ふたこと交わし、一緒に泣いた。
「もんた会」もしくは「赤坂もんた会」という文言を、みのさんに関する報道で見た人もいるだろう。ずいぶん前にも雑誌記事で触れられていた。ただ、どこも詳しくは書いておらず、半ば“都市伝説”のようにもなっている。メンバーが積極的に発言してこなかったため、表に出ている情報が少ないからだ。
「もんた会」には5人のメンバーがいた。私もそのうちのひとりだった。
今回はみのさんの人柄を知ってもらうために、あえて会について明かしたいと思う。
人柄を知ってもらえば、誤解も減るはず…
「赤坂もんた会」が本格的に動き出したのは2005年。きっかけは、朝の情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS)が始まったことだった。朝ズバではタレントや政治家のスキャンダルもズバッと斬る。こういう内容だと、斬っている本人もスキャンダル報道の標的になりがちだ。「偉そうに言っているあんたはどうなの?」と。
しかもみのさんは既にいくつもレギュラー番組を持つ人気タレントであり、銀座などで飲み歩いていることはよく知られていた。標的にされやすいのは明らかだった。
みのさんを守り、番組を守るためにどうすれば良いか。昭和時代からTBSの番組宣伝部で活躍していた古参のH氏(故人)が会を発案した。「みのさんの人柄をちゃんと知ってもらうために、記者を集めて定期的に懇親会をやろう」と。
記者とタレントというのは、意外に接点が少ない。取材を申し込み、その時間内だけの対話で関係が終わることがほとんどで、オフに酒席を共にすることは稀だ。みのさんほどの超多忙なタレントとなるとなおさら難しい。それでも、H氏は懇親会の必要性を説き、みのさんはそれに応えた。
H氏にその真意を聞いたことがある。
「みのさんがどんな人か、どんな飲み方をしているかわかれば、誤解や憶測で書くような記事は減るだろ。何しろ明るくて楽しい席が好きなんだ。番組スタッフのためにバスをチャーターし、収録終わりに赤羽のキャバレー『ハリウッド』(2018年に閉店)まで行って、みんなでどんちゃん騒ぎしたこともある。会計は全てみのさん持ち。そんな形でスタッフの労をねぎらい、感謝を伝えるタレントなんて、そういないぞ。記者も一緒に飲んでそんな人柄を知れば、ペンの進め方だって変わってくるだろ」
つまり「赤坂もんた会」とは、記者対策のために始められた会だった。長くさまざまな記者と付き合ってきたH氏らしいアイデアだった。そしてH氏の推薦で、当時、とある紙媒体に所属していた私も「赤坂もんた会」の末席に加わることになった。
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