「連絡を待っている時間が一番つらかった」 津波で両親を失った作家・柚月裕子が語る東日本大震災
体験者ならではの実感のこもった描写
本作は、逃亡する真柴と陣内ら捜査陣との緊迫した追跡劇が最大の読みどころだが、それぞれの登場人物が背負っている人間ドラマが濃密に書き込まれ、作品に厚みを加えている。そこに描き出された悲惨な被災地の在り様は、体験者ならではの実感のこもったものであるだろう。
逃亡する真柴は北へ向かい、岩手県宮前市(宮古市を思わせる)に到る。そこに、彼がその地を目指した目的がある。
彼の目には悲惨な被災状況が次々飛び込んでくる。それはまさに柚月さんが目撃した光景である。本作の主人公同様に、彼女は実家を目指し山形から北へ向かった。話の続きを聞こう。
「高速道路は使えないのでずっと下道を進みました。道路は速度制限されており、どこに亀裂が入っているか分からないのでなかなか進めず、たどり着くまでにひと晩かかりました。一番危ないと思ったのが橋を渡るとき。入口と出口、そこがずれて段差ができている。ああ、危ない、危ないと何度も思った。そして被災地に近づくにつれ、いろんながれきが道路に散らばっていて、くぎを踏んでタイヤがパンクしないように気を付けて運転していました」
目を覆うような景色
盛岡から106号線に入った。山道を抜けて川沿いを走り、河口にある宮古市に向かう。その景色に柚月さんは目を覆った。
「津波は川を遡上しますので、上流のほうでも途中からすごいがれきの山が目立ってくるのです。破損した家の屋根やなぎ倒された大木が、市内に近づくにつれてどんどん増えていき、流されてきた船があったりする。でも、川から離れると住宅地など何も変わらない景色です。津波はすごく残酷で、波が押し寄せたところまではすべて破壊しても、1メートル先のそうでない場所は何にも被害がないのです」
柚月さんの実家は港の近く、普段ならウミネコの鳴き声も聞こえるのどかな住宅街にあるが、海抜はゼロメートルだ。
「たぶん宮古市の中でも一番被害の大きかった場所だと思います。道はクルマがすれ違うにも慎重にという狭さでしたから、津波から逃れようにも難しかったと思います」
宮古市では最大震度5強を記録した。死者517人(うち行方不明者94人)、住宅被害は4449棟に上る。
作品ではどう描かれているか。人目につかない山中を移動し、目的地の近くで港を見下ろす高台に立ったとき、真柴の目に飛び込んできた光景はこうだった。
〈とんでもないことが起きたのだと理解した。沿岸の一帯には、なにもなかった。まるで巨人か大きな怪物に襲われたように、街が山際に押しつぶされていた。幾艘もの船が陸に押し上げられ、ブイや置き網がねじ曲がった電柱に絡まっている。骨組みだけが残った建物は、泥が混じった波のせいか火災のせいか真っ黒だった〉
父親の腕時計が形見になった
柚月さんが実家の近くまでたどり着くと、がれきの山に道路は埋もれていた。そこからは徒歩になる。だが、見覚えのある住宅街は、津波にさらわれて跡形もなく消えており、どこに実家があったかも分からなかった。
「目印になる建物もない。だけど、なんとなくこの辺りに実家があったと分かったのは、ねじ曲がった電柱に住居表示がかかっていたからなんです。ああ、この辺りだと。道がないと、ホント、人ってそこがどこか分からないものなんだ」
そこから両親の消息を尋ね、遺体安置所をいくつも回ったが見つからなかった。その日から、彼女は何度も山形と宮古を往復した。
「最終的には、自衛隊員の方の手によって、父が再婚した義理の母(実母は以前に死別)が震災から2週間後、父が3週間後に見つかりました。義理の母が、実家近くにあった小学校のプールのそばで見つかり、父は、山際に圧しつぶされた自分の車の奥で発見されました。自衛隊員の方に『見つけていただき、どうもありがとうございました』とお礼を申し上げると、『任務ですから』というひと言が返ってきました」
ブルーシートに覆われた遺体の頭のそばに、着ていた服など遺品を入れた袋が置かれていた。父親の腕時計が形見として残された。
「遺体は、小説にも書きましたが、寒い時期で二人とも水の中ではなく陸で発見されたので、損傷はそれほどなかった。まだ面影を残したまま会えたのでよかったと思いました」
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