「連絡を待っている時間が一番つらかった」 津波で両親を失った作家・柚月裕子が語る東日本大震災

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『逃亡者は北へ向かう』

書籍を購入する『逃亡者は北へ向かう』(新潮社/柚月裕子著)(他の写真を見る

夜に必ず津波の夢を見る

 柚月さんが東日本大震災時の東北を舞台に据えたクライムサスペンス『逃亡者は北へ向かう』は、本誌2023年9月7日号から10カ月の間、毎週連載されたものだ。

 柚月さんは、津波で両親を失った。彼女は話す。

「連絡が来るかと思って待っていましたが、何日か過ぎてから『ああ、たぶん、無理だな』と。いろんな交通手段や連絡手段が絶たれているけれど、父だったら、無事なら絶対何らかの手段で連絡してくると思っていましたから。それがないということは、そういうことかと覚悟しました」

 このときの体験は、彼女にとってはいつの日か必ず書かなければならないテーマであったが、執筆までには時間がかかったという。

「あれからそれほど時間がたっていない頃に、書かなきゃいけないと思ってプロットを考えてはいたのですが、実際、書き始めると夜に必ず津波の夢を見る。ああ、もうつらい、これは無理だと思ったのです」

 それから8年がたった。

「仕事で釜石市に行ったときに、ふらっと街を歩いていると、笑い声が聞こえてくる。なんだろうと思ったら、振り袖姿の女性とスーツ姿の男性が何人も輪になっていた。あ、成人式か、と。彼ら彼女らは震災時には小学6年か中学1年ですね。なかには、大事な身内を亡くした人もいるだろうし、一緒にここにいるはずだった友人がいたかもしれない。それでもいろんなものを背負いながら、ちゃんと成長し、社会人になろうとしている。それを見たときに、ああ、私は何をやっているのだろう、ぐずぐずしていないで書かなきゃだめだと思った。すごく大きな勇気をいただいた気がしたのです」

震災の中に端的に現れた、不条理と理不尽

 それから吹っ切れたように執筆が進んだ。彼女はこれまで『検事の本懐』『孤狼の血』『盤上の向日葵』などミステリー小説を軸に数々の作品を世に出しているが、本作もまた渾身の力作に仕上がっている。

 ここで作品のあらすじを紹介しておけば、福島県さつき市(いわき市を思わせる)で暮らす、天涯孤独で不幸な境遇にある22歳の真柴亮が主人公である。

 彼は、職場の先輩が酒場で引き起こした暴力事件にまきこまれ、加害者として警察の取り調べを受けている際に、地震に遭遇する。街が混乱を極める中、真柴はひとまず釈放されたものの、事件でもめた半グレの一人から言いがかりをつけられ、偶然のはずみで相手をあやめてしまうのだ。

 そこから真柴の逃亡劇が始まるのだが、彼にはどうしても北へ向かわなければならない事情があった。

 柚月さんは、今回の作品を通じて何を描こうとしたのか。そこには、彼女がデビュー以来、こだわっているテーマがあった。

「あの震災は、誰も悪くないし、結局は誰もがまきこまれる形のものでした。私がこれまで一貫して取り上げてきたテーマとして、世の中の不条理とか理不尽があります。それがまさにあの震災の中に端的に現れている。震災に限らず、自分は何も悪くないはずなのに、なんでこうなってしまうのだろうと不幸が重なることが人生にはある。今回は、震災を背景に、そういうものを背負いつつ生きている人物が必要だった。その中で、追い求めるものが北にある。そこへ行くにはハードルがあり、スムーズにたどり着けるわけもない。私は、あの震災で自分が何を考え、何を感じたかを描きたかった。いろんな自分の表現したいものを背負わせることができる人物が主人公の真柴だったのです」

主人公の人物像

 彼はどういう人物として描かれているか。

 真柴は福島県会津の山間部で生まれた。両親は離婚し、母親に育てられたが、2歳で死別。母方の祖父に引き取られたものの、小学3年のときに祖父も亡くなり、以後、児童養護施設で生活していた。

 今から4年前、高校を卒業して町工場に職を得る。安アパートに一人暮らしで、寡黙な真柴は同僚とは交わらないが、地道な働きぶりが認められ、正社員に取り立ててもらえるところだった。だが、暴力事件にまきこまれたことでクビになってしまうのだ。

 もう一人重要な登場人物がいる。真柴の事情聴取を行ったさつき東警察署刑事第一課の警部補・陣内康介。刑事になって20年のベテランだ。彼は真柴を取り調べて思う。

〈人は平等だなんて嘘だ。生まれつき幸せが約束されているやつがいる一方、どこまでいっても不幸から抜け出せないやつがいる〉

 陣内の一人娘も震災で行方不明になっていた。彼は、捜索に血眼になる妻を手伝いたいが、職務を優先すべきではないかという葛藤の中で苦しんでいる。

 逃亡した真柴は警察に追われるが、さらに不運が重なる。逃避行の最中、職務質問を受けた真柴は警官ともみ合いの末、奪った拳銃が暴発して相手を死なせてしまうのだ。

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