「まだまだ生きてまいりたいと思います」【追悼・西村修】将来の「新日幹部候補」を棒に振っても貫いた“無我スタイル”な人生

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「まだまだ生きてまいりたい」

 現役最後の試合は、昨年8月の大仁田厚選手との電流爆破を含めたタッグマッチ(2024年8月24日。富士通スタジアム川崎)で、パートナーはドリー・ファンクJr。試合後は、コメントルームで、ドリーの通訳をかいがいしく務め、ちょうどその1年前、逝去したテリー・ファンクの遺影と、沈痛な面持ちで写真に収まっていた。

 この年の4月に食道癌が発覚し、いったんは発表されたこの一戦は、主催の大仁田サイドの方から、何度も中止の申し入れがあったという。西村の体調をおもんばかったわけだが、それを頑としてはねつけたのが西村自身だったのは、いかにも生一本な本人らしかった。試合後、西村はマイクでこうアピールしている。

「私自身もまだまだやり残したこと、言い続けたいことがあります。必死にプロレスとともに、そして政治とともにまだまだ生きてまいりたいと思います!」

 試合後の全コメントが終了し、西村が去ろうとした際、取材していた筆者は、前出の映像の仕事について、改めて「宜しくお願いします」と声をかけた。

「は! こちらこそ宜しくお願い申し上げます!」

 結果的にお会いしたのはそれが最後になってしまったが、爽やかな応対が、今も胸に残っている。

 西村の訃報後、現在はアメリカで活躍する中邑真輔が、SNSでその死を悼んでいた。〈兄弟のように優しく、色々なことを教えてくれた〉という内容だった(実際、葉巻については西村に教わったそうだ)。その中邑に渡米前、インタビューでこう聞いたことがある。

「ご自身の試合以外で、ベストバウトと思ったプロレスの試合って、なんですかね?」

 答えは意外なものだった。

「西村修vs秋山準ですかね」

 2003年8月11日、新日本プロレスの愛知県体育館大会でおこなわれた「G1 CLIMAX」の公式戦である(当時の所属はそれぞれ新日本、及びNOAH)。理由をこんな風に語った。

「それまで観て来たプロレスの試合は、どちらかというと、選手の方が観ている方の反応を取りに行くという試合が多かった。ところが西村さんのその試合は、観ている方を自分の側へ引きずり込んで行くような、そんな試合だったんですね。衝撃を受けました」

 それは、西村のプロレス人生、そのものではなかったか。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。フジテレビ「カルトQ~プロレス大会」の優勝を遠因に取材&執筆活動へ。近著に「プロレス発掘秘史」(宝島社)、「プロレスラー夜明け前」「新編 泣けるプロレス」(スタンダーズ)、「アントニオ猪木」(新潮新書)など。

デイリー新潮編集部

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