「白い鯨のように夜空に浮かぶB-29」「髪の毛が鉋屑のように燃え上がる」…有名作家たちが語った「東京大空襲」の記憶【1】

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「坊や、背中が燃えてるぞ」と言われ

「空襲警報が鳴った途端に、ラジオがただ事ではない様子を伝え始めました」

 と話すのは、作家の半藤一利氏(74)である。氏の実家は向島区(現在の墨田区八広)にあり、母親と弟、妹は茨城県に疎開。区会議員の父親と、学徒勤労動員で近くの海軍工場で働く中学2年の半藤氏が残っていた。

「そのまま外に出てみると、深川の方が火の海になっている。B29は物凄くでかくて、下から見ると胴体が油で汚いのです。それが真っ赤な空の中から低空で次々出てくる。焼夷弾攻撃はそれまで経験したことがなかったので驚いた。パカーン、パカーンと空で弾ける音がして、ひとつひとつに長いヒラヒラしたものが付いている。頭に火薬が詰め込んでありますから、まっすぐ落とすためにそれが付けてある。そのヒラヒラが燃えるのが綺麗で、遠くから見ると花火のように見えるのです」

 B29の攻撃範囲は、深川から浅草、向島へと拡大していった。半藤氏の実家周辺にも物凄い勢いで焼夷弾が落ち、たちまち火の海に。

「最初は同じ年頃の子たちとバケツリレーで火を消そうとしたのですが、もはや逃げるしかなくなった。僕は中川(荒川の上流)の方へ逃げたけど、風で煽られて飛んできた火の粉が付いて背中が燃えた。後ろから、『坊や、背中が燃えてるぞ』と言われ、消しながら逃げたのです」

川で溺れる寸前、九死に一生

 やがて中川に架かる平井橋に辿り着くと、大勢の被災者で溢れていた。

「北風に煽られて火が迫り、橋の袂は阿鼻叫喚でした。川の中に落ちて流されていく人や、飛び込めない人は川っぷちで子供を抱えてうずくまっている。その上を火がバーッと覆い被さって、いっぺんに燃える。髪の毛が鉋屑(かんなくず)のように燃え上がるのです」

 ここで半藤氏は九死に一生の体験をする。橋の上で逃げ惑っていると、対岸の人が船を出してくれた。

「僕は橋桁をするすると伝って船に乗った。そこで、あまりに川に落ちる人が多かったので、落ちた人を引っ張り上げていたんです。そしたら荷物を持った女の人に肩を掴まれて、僕も、もんどり打って川に落ちてしまった。川の中では大勢の人が互いにしがみつきあっており、浮いたり沈んだり、水をがぶがぶ飲んで、溺れる寸前だった。死ぬかと思った。そこへ襟首を掴んで船の上に引き上げてくれる人がいた。それで助かったのです」

真っ黒な死体に誰も見向きもせず

 船上から眺めた光景は地獄絵だった。

「対岸が焼け落ちるのを見ていました。人が死ぬのも見ました。パーッと火を被ると、本当に人はコロッと倒れる。そして炭のように燃えてしまうのです。最初は、『飛び込め!』なんて言ってた人も、もう船の上は一杯なので、どうすることもできない。だからもう、ボーッと見ているしかありませんでした。朝になって、その辺に真っ黒な死体が転がっていても、みんな感覚が麻痺していたのか、誰も見向きもしませんでした」

 ***

「道端には死骸が山ほど、男も女も俯せになって倒れていた姿が今でも忘れることができません」――。第2回【「隅田川に入った家族」「神社に逃げ込んだ全員」が帰らぬ人に…下町が業火に包まれた「東京大空襲」で、生死を分けた瞬間とは】では、凄惨な状況をさらに伝える。

デイリー新潮編集部

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