「白い鯨のように夜空に浮かぶB-29」「髪の毛が鉋屑のように燃え上がる」…有名作家たちが語った「東京大空襲」の記憶【1】

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上も下も前も後ろも、右も左も火の中

 家族の消息は、それから5日後に知らされた。

「すぐ上の中学1年の兄が、ボロボロになって東京から訪ねてきました。その夜、兄は、『みんな死んだ。香葉子、一度しか言わないから聞いてくれ』と、身を乗り出すようにしてその時の様子を話してくれました」

 と海老名さんはいう。

「『香葉子、上も下も前も後ろも、右も左も火の中だったんだ』と兄は言いました。家族はみんなで風上にある近所の中和小学校に逃げたのですが、もうどこも火の海で逃げるところがない。小学校の門は閉まっていて、それで塀を乗り越えたのですが、塀と校舎との間で、母が弟を胸に抱いて突っ伏し、その上から父が覆い被さって、最後に3人の兄たちが一塊になって倒れたそうです。

 長兄は、『日本男児だ、舌を噛んで潔く死のう』と言ったそうです。この時、私のすぐ上の兄だけが、校舎の窓のわずかな隙間から夢中で中に転がり込んで助かった。兄は、ぽとん、ぽとんと私の手の甲に涙を落とし、泣きながら話してくれました。あんなに熱い涙は初めてでした」

 おそらく灰燼(かいじん)に帰(き)したのであろう、亡くなった家族の遺体はついに見つからなかった。

東の方角に火柱が十数本、中空には熱球

 大空襲があったその日の東京は、晴れてはいたが夜通し強い北風が吹いていた。作家の深田祐介氏(73)は、当時、目白駅近くの叔母の家で生活していたが、

「最初の空襲警報が鳴ったときには起きたのですが、解除されたために寝てしまった。そのため叔母さんに頬を叩かれて目を覚ますと、外が真昼のように明るかったので、思わず『朝ですか』と尋ねたくらいです」

 と、記憶を手繰り寄せる。

「そのまま庭に飛び出して行くと、東の方角に火柱が十数本立ち、中空には熱球のようなものが見え、外は猛烈に明るいのです。後から調べてみると、火砕流などが起きると、火の球のようなものができるといいます。その熱球は、まるで日の出の太陽のように大きく見えました。焼夷弾が何本も束になって花火のように落ち、日本側が高射砲を撃つために照らしたサーチライトで、B-29の姿がくっきりと白い鮫のように夜空に浮かんで見えました」

 離れた場所からでも、爆撃された地区に大変な被害が出ていることは容易に想像できた。当該地区はまさに業火に焼かれた地獄であった。

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