“ちびた下駄”が「あがた森魚」の運命を変えた… 「赤色エレジー」大ヒットの裏側とテクノポップへの転身

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人生の第4コーナー

「もう人生の第4コーナーは曲がったらしきところまで来てるわけだから、これから先はあとがき。やり足りていないことを2つか3つやれば、あとはいつどうなってもいいかな」

 昨年4月にはライブのためにおとずれた広島で、タクシーから降りた際に縁石に躓き、腰を強打した。痛みを耐えてその後のステージはこなしたが、実生活ではトイレにも這っていかなくてはならないような状態も続いた。そんなときにある夢を見たという。

「森魚は83歳まで歌える、ってお告げがあってさ(笑)。まだ7~8年歌えるんだって思うと、すごく嬉しかった。仮に80歳までとしてもあと何枚かアルバム作って、やりたいことやって。その後は新しいアルバムは作らないかもしれないけど、ずっとギター持ってツアーしてもいいじゃないですか。そうそう、ニューヨークにも行きたいしね」

 1970年の「赤色エレジー」でうつむきながら歌いつつも、時代のパワーを感じさせたエネルギーの源泉は、まだまだ枯れることはないようだ。

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 第1回【四畳半フォーク誕生前夜 ボブ・ディランとの出会いが「あがた森魚」少年を音楽に導いた】では、ボブ・ディランの音楽に出会った衝撃から、自身で曲を作り始めた原体験などについて語っている。

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