“ちびた下駄”が「あがた森魚」の運命を変えた… 「赤色エレジー」大ヒットの裏側とテクノポップへの転身

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第1回【四畳半フォーク誕生前夜 ボブ・ディランとの出会いが「あがた森魚」少年を音楽に導いた】のつづき

 1970年代はじめに「フォークソング界の旗手」と呼ばれるようになったあがた森魚(76)。きっかけとなった楽曲「赤色エレジー」は「四畳半フォーク」の代名詞ともなったが、自身は「歌謡曲の感じもするし、あえて言うならロック」と語る。今も精力的な音楽活動を続けるあがたへのインタビュー。

(全2回の第2回)

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大橋巨泉に面白がられ

「赤色エレジー」のヒット以前と以降とで、自身の立ち位置が大きく変わったと感じるという。メディアなどでは、“時の総理・田中角栄”“中国からやってきた人気者・パンダ”と並び称されるほど認知が広がった。

「ヒットでいろいろ言われましたけど、ワイドショーに出ると『今年は何と言っても角栄、パンダ、そしてあがた森魚ですよ』なんておだてられてね。自分でもそうかもしれない、と思うほど、当時はあがた森魚って知らない人はいなかったと思った。それぐらい『赤色エレジー』に魔力、魅力があったんだね」

 ヒットの火付け役となったのは、深夜番組「11PM」だった。アングラカルチャー事情を伝える特集の際、大道芸やアングラ演劇の若者などが出演する中、あがたたちは長髪にTシャツ、ジーンズで下駄を履いて登場。その姿を司会の大橋巨泉が大いに面白がったのだ。

「当時、ズックと呼ばれたスニーカーは、かかとを踏み潰したものしかなく、足元まで映るか分かんないけど、映ったらカッコ悪いと思って。下駄箱を見たらちびた下駄があった。それでもいいかなと思って履いて行ったんだよ。奇をてらったり、これなら目立つと思ってたりしたわけではない。咄嗟の思い付きでね。巨泉さんの第一声が『お前さ、なんで下駄なんか履いてくるの』だったからね。面白がられたんだけど、おれも答えようがなかったね」

 ありのままの姿で思いの丈を切々と歌う様子を大衆が面白がり、何かを感じ取る時代だった。出勤途中の40代ぐらいのサラリーマンに「いい歌ですね」と話しかけられ、学ラン姿の体育会系男子学生が「あがたさん大好きです」と寄ってきた。またある時には家出中学生が「弟子にしてくれませんか」とやって来た。タラレバになってしまうが、下駄でなくズックを選んでいたら、あれほどのヒットにはなっていなかったかもしれない、と感じるという。

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