“動く機関車”を自宅に保存…40代のがん診断で目覚めた「趣味の達人」が説く「定年後では遅い」理由

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がんが人生を切り替えるきっかけに

 ところで歩鉄さん、いつからそんなに趣味に入れ込むようになったのか?

「最初は高校生の時ですね。弓道部で3年間、毎日朝練も出て、びっちりやってました。道具にこだわって、当時17万円ぐらいした『肥後三郎』と言う竹弓が欲しくなり、バイトして自分で買ったんです」

 大学では自動車にハマっていた。愛車は走り屋の漫画「頭文字D」の主人公・藤原拓海と同じトヨタAE86(ハチロク)・トレノだった。

「GTVというラジオもついてない一番安いグレードを買って、LSD(Limited Slip Differential)をつけたり、バケットシートに変えたり、自分でいじってドリフトとかやってましたね。あと、バイクやサーフィンもちょっとやってました」

 だが趣味を存分に楽しむ生活は、社会人になると一度終わった。会社に入ってからは仕事一筋だったという。

「本当に仕事人間で、同期の中では一番早く課長になりました。それこそ“会社を背負って立つ”ぐらいの気持ちで働きましたし、いわゆる出世争いもいいポジションにいたと思います」

 仕事に生きがいを見い出し、働きに働いて結果も出していた。その流れが40代後半になり突如変わった。がんが見つかったのだ。

「2010年ぐらいから体調がおかしいなと病院に相談し始め、2013年12月に前立腺癌の診断が出ました。翌2014年2月に前立腺癌の全摘出手術を行いました」

 体調が悪化した時期には、トラブルもあり、以前のように仕事に集中できない環境になっていたという。

「一線から外れたことで、趣味に時間を割くようになりました。病気が人生を切り替えるきっかけになったんです」

 さらにがんと診断されたことで、600万円の保険金が入った。このお金も歩鉄さんを“趣味の道”へと強く押し出すこととなった。

「2社から300万円ずつ出たんですね。がんになって、この先、どれだけ長く生きられるかわからないし、このお金は趣味に使おうと決めました。それから毎週末、飛行機とレンタカーで地方に行き、マンホールや廃線跡、煉瓦構造物を記録していました。日本の全市町村のマンホールを記録できたのは保険金のおかげです(笑)。2年半で全て使い切ちゃったんですけどね(笑)」

 この5年ほどの間にも、ドローン撮影、居合切り、日本刀蒐集など趣味をさらに増やしている。

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