【べらぼう】小芝風花「瀬川」を身請けした鳥山検校 大富豪になった理由と悲惨すぎる末路

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武士の妻になって2人の子を産んだ?

 その後、鳥山検校がどうなったかは伝えられていない。一方、五代目瀬川については、庶民社会に詳しかった国学者、喜多村信節の『筠庭雑考』に、深川に住む武士の妻となって2人の子を産み、夫の没後は髪を下ろし、本所の大工と連れ添って老後を過ごしたと書かれている。

 ただ、『筠庭雑考』が成立したのは、鳥山検校が処分されてから60年以上が経過した天保14年(1843)だから、信憑性についてはなんともいえない。だが、少なくとも、だれかの妻になったという話が伝わっているということは、その後も生き永らえたということではないだろうか。

 五代目瀬川は吉原の女郎としては、恵まれていたといえよう。「苦界十年」といわれた年季明けを待たずに、性病などで没する女郎が多く、命はあっても借金がかさむなどして、年季明けがどんどん延びる女郎も珍しくなかった。身請け後に「夫」がとんだ目に遭ったとしても、その後も市井で人の妻になれたのであれば、よかったと思う。

 幼くして親に売られた吉原の女郎は、家族を救った孝行者と認識され、当時、女郎だから妻にしない、と考える男性のほうがむしろ少なかったといわれる。人身売買の対象者が、逆転で幸福をつかんだ――。五代目瀬川もそんなケースのひとつに数えられるかもしれない。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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