「他に何をやるの、俺はお笑いだけだよ」…ダチョウ倶楽部「上島竜兵さん」を奮い立たせた「志村けんさん」の深すぎるアドバイス
運命の出会い
さて、南部が抜けてしばらくしてからダチョウはどうなったかというと、人気に陰りが出てきた。それまではネタをやればいいと思っていたが、時代はバラエティーにも柔軟に対応できるタレントを求めていた。上島は、南部がいてハチャメチャな方が、より視聴者に歓迎されることに気がついたという。
「(南部という)変わったオジサンがいるということでダチョウ倶楽部が世間に認められていたんだなと思い知らされました」
そんなダチョウにとって決定的な転機は、志村と出会ったことに尽きる。恩人は親交があったプロレスラーの川田利明(61)。上島が夫人の広川ひかる(54)と高円寺で食事している時に、武道館で大きな試合を終えた川田に連絡したところ、志村と麻布十番で飲んでいた。
上島が行くか決めかねていると、川田から店に電話が入り、「志村さんが来いと言っている」と言う。しかし、上島はそれまで志村とは挨拶を交わした程度。いきなり飲みの席にお邪魔するのは図々しいと遠慮し、最初は断った。それでも川田から電話があり、最後は「志村です」と本人が電話してきたという。
そこまで言われては、さすがに断ることはできない。夫人は家に帰り、上島だけが麻布十番の韓国料理店に向かった。上島は、次の店は六本木の高級クラブに連れ出してくれるものだと思っていたが、その頃の上島は行き詰まっていた。次の店に行くことより、芸人としてどうやっていけばいいか、志村に相談に乗ってもらう展開になった。
それまでのダチョウは、ビートたけしの後押しもあって日の出の勢い。冠番組があり、レギュラーは5、6本あった。しかし、徐々に飽きられ、単発の出演も増えていった。窮余の一策で寺門はバスケットシューズや、腕時計のGショックコレクションをアピールしたり、リーダーはリポーターの仕事をやったりするようになっていた。知り合いの放送作家には「やっぱり趣味の時代だよ」と言われた。
上島は悩んだ。
「俺には趣味と言えるものが何もない」
志村にそんな話をしたところ、こうアドバイスしてくれた。
「竜ちゃんはお笑いが好きなんだろ。お笑いが趣味であり、仕事でもあるのに、他に何をやるの。オレはお笑いだけだよ。あとは酒だな。いい酒を飲むためにいい笑いをとろうと頑張っているんだ」
その一言で上島のモヤモヤが吹っ切れた。
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