「他に何をやるの、俺はお笑いだけだよ」…ダチョウ倶楽部「上島竜兵さん」を奮い立たせた「志村けんさん」の深すぎるアドバイス

  • ブックマーク

 俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いは何か――。コラムニストの峯田淳さんは、日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけています。そんな峯田さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第6回はダチョウ倶楽部のメンバーとして、そしてリアクション芸の達人として大活躍した上島竜兵さん。こちらも、お笑いを極めた男・志村けんさんとの、心温まるエピソードです。

鮮やかなコントラストを描く3人

 ここ数年の間に惜しまれつつ亡くなった芸能人――例えば志村けん、ダチョウ倶楽部の上島竜兵、電撃ネットワークの南部虎弾の3人は、いずれ劣らぬ稀代のエンターテナーだった。

 志村は20年に(享年70)、上島は22年に(同61)、南部は昨年(同72)に この世を去ったが、上島を真ん中にすると3人のコントラストが鮮やかに浮かび上がる。

 ご存じのように、ダチョウ倶楽部の初期のメンバーは現リーダーの肥後克広 、上島、寺門ジモン、南部の4人だった。この中から南部が抜け、電撃ネットワークが結成された。上島に「ユカイな交遊録」というタイトルで連載をお願いしたのは10年。その中で南部と袂を分かつことになった話はよく知られている。原因は南部の一言。夜中に電話がかかってきた。

「竜ちゃん、ビー玉のめるか」

 ――何度、話を聞いても吹き出しそうになる。

「危ないことをやってもかまわないが、笑いがとれるかということです。ビックリ人間じゃないんだから」

 上島は、取材当時も(まだ)怒っていた。

 ケンカ別れしてしまった原因を、南部はインタビューで「俺のわがまま」と認めていた。だが、「そのまま芸人もやめてしまうのはシャクで、いつも頭の片隅にあったのはパリで見た大道芸。あれで外国人を驚かすことができないか」と一念発起する。結果的に世界的なパフォーマーとなる、電撃ネットワークの誕生につながっていった。

次ページ:運命の出会い

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。