「過激派による葬列妨害が」「政府が頭を抱えたのはブッシュ大統領の席次」 皇室担当記者が見た昭和天皇「大喪の礼」全内幕
過激派による葬列妨害
現場取材した筆者が、参列者や外国特派員らに大喪の感想を聞いてみると、「宗教色のある前半の皇室行事の方が、日本の伝統が感じられて興味深かった」という声が多かった。これに対し、政府が無宗教にと神経をとがらせた大喪の礼は「無味乾燥だ」とあまり評価されなかった。
「葬儀に宗教色がある程度出るのは仕方ない。天皇の葬儀に鳥居を建て、神道で行ったら、軍国主義が復活すると心配する人はいないのでは」
と、政教分離論争を笑う人もいた。
国葬としては珍しく屋外で行われた大喪は、多くの参列者にとって、計2時間半を超える厳しい寒さとの闘いになってしまった。暖かい休所は、後半の大喪の礼が始まった頃からずっと満員だったのだ。
この日の儀式はまだ続く。柩は再び車に移され、車列を組んで新宿御苑から高速道を使って午後3時15分、八王子市の武蔵陵墓地へ。この間に、大事になりかねないアクシデントがあった。午後2時前、調布市の中央自動車道沿いの雑木林で爆発が起き、大量の土砂が高速道上に滑り落ちた。過激派による葬列妨害のゲリラで、近くにいた機動隊員が急ぎ土砂を片付け、葬列は約20分後に予定通り現場を無事通過したのだった。
皇室行事の「陵所の儀」が行われる頃には雨がやみ、柩の車を挟んで天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方や、ノボリを持った154人の徒歩列が、昭和天皇陵となる「武蔵野陵(むさしののみささぎ)」まで約400メートルの参道を進んだ。柩は夕刻、副葬品とともに地下2.9メートルの石槨(せっかく・石で造った、柩を納める室)に納められ、埋葬される。
「近代史上、空前の規模」の葬儀
副葬品には、お人柄がしのばれるものが多い。衣類など身の回り品のほか、目立つのは生物学者らしくご愛用の顕微鏡、ご自分で採集した貝などの標本、ご著書の『那須の植物』『伊豆須崎の植物』など。お好きな大相撲に関するものもあった。天皇らしい副葬品としては新年祝賀の儀などで着用された最高位の勲章、大勲位菊花章頸飾(けいしょく・ネックレス)があるが、戦前の大元帥位を示すものはなかった。
両陛下は翌日も午前から、大喪の礼に参列したブッシュ大統領やミッテラン大統領ら13カ国の元首や王室関係者らと個別に会見された。弔問外交が終わった26日夜、外務省が大喪参列国は「南アフリカも在京総領事が参列していた」として1国増え、164カ国だったと発表した。南アが人種隔離政策(アパルトヘイト)を取っているため、「南ア参列」を事前に公表すると、他のアフリカ諸国が反発し参列中止国が続出するかもしれないと懸念したのである。
内外の関心を集め、他国と比べても「近代史上、空前の規模」の葬儀となった。その大喪の取材を終え、筆者は多くの日本人と同様に「激動の昭和」が本当に終わったと感じたのだった。
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