「過激派による葬列妨害が」「政府が頭を抱えたのはブッシュ大統領の席次」 皇室担当記者が見た昭和天皇「大喪の礼」全内幕

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当日の模様

 すったもんだの末に、ようやく大喪の礼当日を迎える。平成元年(1989年)2月24日、その日はみぞれ交じりの冷たい雨が降り、日中でも気温3度の厳しい寒さになった。亡き陛下の柩が載る大きな車を中心とした車列は皇居から国会議事堂前、赤坂御用地前などを通って新宿御苑へ。沿道を、20万を超える人波(午後を含めると57万人余)が埋め尽くす。

 葬場に到着した柩は「葱華輦(そうかれん)」に移された。黒の漆塗りで、屋根に葱(ねぎ)の花を表す飾りがある天皇、皇族らの輿で、三重の柩を載せて総重量は1.5トンになる。それを身長168センチ前後でほぼ同じ体型の皇宮警察官51人が黒の古装束で担ぐ。

 内外の参列者約1万人が見守る中、皇室行事の「葬場殿の儀」は午前10時半、時代絵巻さながらの徒歩列で始まった。宮内庁の楽師が物悲しい調べを奏で、黄色や白のノボリを先頭に、祭官らがゆっくりと歩む。ひときわ大きい葱華輦が「ザッ、ザッ、ザッ」と担ぎ手たちの玉砂利を踏みしめる音を残して進む。その後に天皇、皇后両陛下が続いた。

 葬列が終わると、天皇陛下は鳥居をくぐって葬場殿に入り、弔辞に当たる御誄(おんるい)を分かりやすい口語体で述べた。

「皇位に在られること六十有余年、ひたすら国民の幸福と世界の平和を祈念され、未曾有(みぞう)の昭和激動の時代を、国民と苦楽を共にしつつ歩まれた御姿は、永く人々の胸に生き続けることと存じます」

アメリカの三大テレビが中継

 同11時45分に前半の儀式が終了し、葬場殿の幕の門が閉められた。10分余りの休憩時間の間に慌しく、政教分離の観点から鳥居や大真榊(おおまさかき・榊は神棚や祭壇に供える植物)が撤去され、祭官も退席した。入れ替わるように、それまで休所で待機していた社会党の国会議員約70人らが入場する。

 11時58分に小渕恵三官房長官が「大喪の礼」の開会を宣言し、両陛下が葬場殿前に進み出て、参列者全員が亡き陛下に1分間の黙とうをささげた。続いて、国民を代表して竹下登首相ら、三権の長が弔辞を朗読。この後、外国弔問代表の拝礼が始まり、ベルギーのボードワン国王を先頭に元首級55人を含む226人が昭和天皇に別れを告げた。宗教色を排除した儀式は午後1時5分に終了する。大喪はアメリカの三大テレビが生中継を交えて大きく取り上げたのをはじめ、世界各国に伝えられた。

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