「過激派による葬列妨害が」「政府が頭を抱えたのはブッシュ大統領の席次」 皇室担当記者が見た昭和天皇「大喪の礼」全内幕
大きく分かれた各党の対応
さらには憲法問題が表面化したことで、大喪への参列をどうするのか各党が決断を迫られた。特に野党第1党の社会党は、土井たか子委員長が崩御後間もない1月18日に昭和天皇の戦争責任について、「大日本帝国憲法上、天皇は統治権を総攬(そうらん・一手に握って収めること)し、軍の統帥権の最高責任があり、戦争責任を否定することはできない」と発言していたことで注目されていた。最終的に国会議員個人の判断に任され、土井委員長ら大半の議員は宗教色の強い前半の「葬場殿の儀」を欠席し、後半の「大喪の礼」だけ出席することになる。
公明党は社会党同様に「葬場殿の儀」は欠席の方針としたが、待機の意味で「葬場殿の儀」から着席し、事実上の参列となった。自民党と民社党はいずれにも参列、共産党はいずれも欠席することとし、各党の対応が大きく分かれた。
明治天皇や大正天皇など歴代の天皇の柩を担いだことで知られているのが、比叡山の麓、京都市の八瀬に住む「八瀬童子(やせのどうじ)」である。今回も伝統を守りたいと担ぎ手を宮内庁に願い出たが、認められなかった。
一説には約700年前、京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬の住民らが天皇の輿(こし・乗り物)を担いで守った功績から、税が免除され、天皇や上皇らの輿や柩を担ぐようになったという。今回は出番がなくなり、時代の流れを感じさせたが、八瀬童子会の代表7人が大喪に参列することになり、皇室とのつながりは保たれた。
大喪会場の席次が問題に
政界をまきこんでいた汚職事件の余波もあった。亡き陛下が111日間のご闘病に入った頃から「リクルート事件」の捜査が続き、リクルートと接点のあった宮沢喜一蔵相(のち首相)らが次々と辞任している。
天皇崩御の後も閣僚の辞任が続き、1月26日、新経済企画庁長官の認証式をどこで行うかが問題となった。いつも総理大臣の親任式や閣僚の認証式を行う「松の間」では、前記のように「殯宮祗候」が行われていたからである。
殯宮の隣の部屋で行うのはいかがなものかという意見もあったが、閣僚認証式は重要な儀式なので正殿で行うのが適当と判断され、隣の竹の間で行われた。
いよいよ海外から大喪参列の弔問使節団が、2月19日以降続々と来日する。
日本政府は、山を切り開いて造成する天皇陵の工事期間の1カ月半を利用して、その間に世界各国のVIPを受け入れる準備を進めてきた。国際的葬儀として、最多の119カ国が参列した1980年のチトー・ユーゴスラビア大統領の国葬を大きく上回る空前の規模になることが確実となる。大喪前日の23日にはブッシュ米大統領、ミッテラン仏大統領ら「世界の顔」が東京に集結し、活発な弔問外交が展開された。
ここで日本政府が頭を抱えたのが大喪会場の席次・拝礼順の問題だった。元首クラス、首相クラスなどにグループ分けして就任順に並ぶのが外交上の慣例だが、そうすると各国から注目されるブッシュ大統領が元首級の末席になってしまう。
そこで外務省は知恵をしぼり、昭和天皇が訪問した国や会った人を優先させるという基準を考え出す。その結果、ブッシュ大統領は仏、西独の大統領と並んで最前列に着席することになったのである。
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