石破首相に退陣要求した男・西田昌司議員が指摘する「戦後財政政策」の誤り 「官僚は教わった学説を一方的に信じているだけ」
財政政策で積極的出動と健全化のいずれを重視するかは、交わらない「神学論争」に映る。経済が「失われた30年」と呼ばれる日本では、昨今の物価高騰と相まって、減税や教育関連の無償化など負担軽減の議論が熱を帯びる。国債発行の意義を前向きにとらえ、積極財政派の論客として改めて注目を浴びるのが税理士でもある西田昌司参院議員(自民党、京都選挙区)だ。3月12日には、自民党の参院議員総会で「今の体制では参院選を戦えない」と石破首相に退陣要求したことでも話題を呼んだ。
その西田議員がインタビューに応じ、なぜ今の日本に積極財政政策が必要なのか、その理由を述べた。日本経済の現状と、政府の財政政策への評価を語った【前編】に続き、【後編】では、戦後直後までさかのぼり、脈々と続く戦後財政政策の悪しき「呪縛」について持論を展開する。
(インタビューは2025年2月5日に実施しました)
【前後編の後編】
【政策ニュース.jp編集部×紀尾井町戦略研究所:聞き手=市ノ瀬雅人/政治ジャーナリスト】
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【写真】「罪務省」「ザイム真理教」…「財務省解体デモ」に出現した過激なプラカード
「欲しがりません勝つまでは」は秀才官僚のインフレ抑制策
――占領中の1947年(昭和22年)に財政拡大を否定する「財政法」が成立した。政府が財政出動に消極的な姿勢を示す理由を解き明かすには、戦後すぐまでさかのぼる必要があると。
戦時中はこのような法律はなかったが、実は大きなインフレは起きていない。当時は供給力のほとんどを戦争遂行に回しており、大量に国債を発行して軍需物資を買い、それによって国民の側に多額のお金が渡っていた。ただ、国民がそのお金を自由に使うと大変な供給力不足に陥りインフレは不可避となる。よって「お金は渡すけれども、手に入れたからといって使ってはならない」という理屈を「欲しがりません勝つまでは」の標語にして浸透させ、統制した。つまり、当時の大蔵官僚は大変な秀才だったわけだ。
戦後はその統制が外れ、国民がそれまで我慢してきた分、欲しいものに使い出して供給力不足となり、需要と供給のバランスが崩れた。また、終戦直前は国土の至る所が空襲で焼かれ、供給力が極端に落ちていた。それで戦後の大インフレとなったのだが、原因は国債発行ではなく、著しい需給バランスの崩壊だった。
――なぜ財政法が作られたのか。
財政法には、さらに別の狙いがあった。それは財政健全化を建前として、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府から財政自主権を取り上げることだった。占領中に政府が勝手なことをしないよう、歳出に厳しい制約を設けたということだ。例えば、再び戦争を起こさせないようにするため、まずは新憲法で不戦の誓いを立てさせ、財政法で歳出を縛って戦費を調達できなくした。これでは戦争をしようにもできない。このように歳出を制限すれば、ほかのことでも政府は自由な政策ができなくなるわけだ。しかし、そういう真の目的は国民に教えたくないので、GHQは「財政健全化」だけを言った。国民は、そのまま今まで信じてきた。
ここまで言うと真実が見えてくる。本来は、災害が起きたり、新型コロナウイルスのような感染症が大流行したりすれば、多額の財政出動が必要だ。ところが、これまで終戦直後の状況を前提とした政策を延々と続けてしまった。政府は特にこの30年間、財政法を盾に厳しい歳出管理を徹底した。
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