「硝子のジョニー」アイ・ジョージさん逝去 “借金3億円”で表舞台から去ったスターの晩年とは 「中野のスナックに現れて…」【追悼】

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皇太子ご夫妻に歌を披露

 時の人となり、60年には御成婚から間もない当時の皇太子ご夫妻にメキシコ風の衣装で歌を披露。予定を変えて舞台から下り、目前で歌ったとは大胆だ。

 61年、自ら作曲した「硝子のジョニー」が大ヒットし、日本レコード大賞歌唱賞を受賞。63年にはニューヨークのカーネギーホールでの公演を実現させ、65年には「赤いグラス」も人気に。美空ひばりら歌手仲間からも歌声が好まれた。

「ジョージさんはサービス精神が旺盛。わざと波風を立てて場を面白くすることもある。悪気はなく人の反応をうかがうようにつかんでいた。人生を楽しみたいとよく語っていた」(安倍さん)

3億円の借金

 67年、不動産業などを営む実業家の娘と結婚。1女を授かるが76年に離婚する。小笠原に開いた釣りの店、六本木のメキシコレストランなどの経営が頓挫、少なくとも3億円の借金を負う。

 芸能レポーターの石川敏男さんは振り返る。

「暗転です。80年代、ジョージさんから取材の誘いが来ても、記事が宣伝に使われかねないと警戒したほど」

 60年代の名曲は残ったが、表舞台から姿は消えた。95年には本誌(「週刊新潮」)の取材に応じ、6年半、世界42カ国をギター片手に旅をしながら曲を作っていたなどと語った。一方、2000年代に入るとスティービー・ワンダーら大物歌手が音楽で世界平和を訴えるプロジェクトへの投資呼びかけ人に、ジョージさんの名が現れる。出資者の疑念に自ら潔白を主張するが、07年の本誌の取材に回答はなかった。

「中野のスナックに現れて…」

 活動は続けていた。音楽評論家で尚美学園大学名誉教授の富澤一誠さんは語る。

「22年の秋、ジョージさんが来ると友人に誘われ、(東京)中野のスナックに行きました。ジャケット姿でピシッと現れ、80歳代後半に見えない。愛想を振りまかず雑談には応じる。カーネギーホール公演の様子を言葉少なに語り、今も大切にしているんだな、と感じました。ずいぶんたってからカラオケで『硝子のジョニー』を力を抜くことなく堂々と歌いました。プライドが伝わってきました」

 それは、流しの頃に戻った感覚だったか。1月18日、心筋梗塞のため91歳で逝去。

 結局は自分しか頼りにならない、と全盛期から口癖のように語っていた。

週刊新潮 2025年3月6日号掲載

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