ワイドショーに追われてリヤカーで撮影所を脱出…「火野正平」を時代劇で輝かせた“自由自在”の芸風

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 ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第30回は、そのモテぶりから“元祖プレイボーイ”の異名を取った火野正平(1949~2024)だ。

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 昨年、75歳でこの世を去った火野正平は、12歳のときに子役でデビューして以来、唯一無二の個性を持つ俳優として数多くの時代劇に出演した。

 その芸風を一言で表すとしたら「自由自在」だろう。出演作はシリアスからコメディまで幅広く、人情味のある兄さんも、裏の顔を持つ男も、軽やかに演じ続けた。

 俳優として最初に注目を集めたのは、1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」の木下藤吉郎(豊臣秀吉)役だった。このとき24歳。はじめて「火野正平」の名前で出演している。名付け親は小説家・池波正太郎だった。

 司馬遼太郎原作の「国盗り物語」は、前半は平幹二朗が演じる斎藤道三、後半は高橋英樹が演じる織田信長を中心に描かれた骨太戦国絵巻。その中で火野正平が演じる藤吉郎は、飄々としながらも大胆な策で出世していく。

 たとえば、鉄砲名人の雑賀孫市(林隆三)と懇意になった藤吉郎は、孫市に信長の前で鉄砲の演舞を勧める。そして八咫烏が描かれた派手な陣羽織で踊る孫市が手にする黒い扇を、鉄砲集団が見事に打ち抜く。その様子を見た信長は、これからの戦は鉄砲が勝負を決めるのだと悟る。また、信長が浅井家と対立すると、藤吉郎は浅井の有力武将・宮部善祥坊(小松方正)の元に単身乗り込んで寝返りを直談判。「豪胆にもほどがある」と言われると「織田家では当たり前」と涼しい顔で応えるのだ。

変わらない魅力

 火野正平は後年、池波正太郎から「正」の一字をもらい、スター俳優に囲まれながら秀吉という大役を務めるのに緊張したと語っている。しかし、孫市の技に目を見張る信長の横で「しめしめ」と微笑んでいる藤吉郎は不敵な策士という印象で、とても緊張しているように見えない。セリフも堅苦しく聞こえない。俳優・火野正平の魅力はこのころからずっと変わらなかった。

 翌1974年、「国盗り物語」で共演した同じ事務所の先輩・近藤正臣が主演の「斬り抜ける」(朝日放送)に出演。この時代劇は「必殺シリーズ」(同前)をヒットさせたスタッフが参加したメロドラマ風ロードムービーだ。藩主の罠によって自分が斬った親友の妻・菊(和泉雅子)を江戸へ送り届けるために命がけで戦う楢井俊平(近藤)。彼をいろいろと助けるのが、よろずやの弥吉(火野)だ。「もう、知らないからね!」。弥吉はただでさえ現代的な言葉遣いだったが、回を重ねるごとにチョンマゲも小さくなり、ほとんど自毛に。そして、なぜかオレンジ色の毛布を被って歩くようになるのだ。それは撮影現場に小道具を運ぶためのリヤカーにかけてあった毛布に見えるんですけど?

 ちなみに、私は京都の撮影所で「昔、火野正平ちゃんがいろいろ浮名を流してワイドショーに追いかけられていたころ、リヤカーに隠して脱出させたなあ」という話を聞いたことがある。ひょっとしてその延長で、毛布を採用していたのかもしれない。ありうる……。

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