60歳男性が「うつ」になるほど後悔している「かつて捨てた恋人」の秘密と遅すぎた再会
「一目だけでも会ってやって」と言われて
それから数ヶ月後、再びその女性から連絡があった。もう時間がない、一目だけでも会ってやってと。遠方だった。しかもその時期、彼は大きな仕事を抱えていた。それでも乃理子さんに会わなければいけないと思った。
「昔の友人が病気だというから見舞いに行ってくると妻に言って、仕事に支障がないよう日曜日に日帰りで行きました。教えられた病院では女性が待っていてくれて、早く早くと急かされて病室に入りました。一目で、もう人生を終えるんだとわかった。乃理子の手を握り、呼びかけると、うっすら目を開けたように見えました。その目から大粒の涙がぼろっとこぼれ、口が少し開いて、今にも何か言いそうでした」
だが彼女が言葉を発することはなかった。彼が帰りの飛行機に搭乗しようとしたとき、女性から連絡があって、乃理子さんが亡くなったと告げられた。引き返してもらえませんかと言われたが、彼はそのまま飛行機に乗った。ずっと自分のことしか考えてこなかった、乃理子を犠牲にしたと痛感した。
「それから夢に乃理子が出てくるようになったんです。夢の中の乃理子は、いつも笑っている。そのたびに僕は胸を締めつけられるように苦しくなる。母の夢も見るようになりました。考えてみれば母を追い出し、乃理子も追い出して、僕は今の家族と地位を手に入れたわけで……。幸せな人生を手に入れたと思っていたけど、それは母や乃理子の犠牲のもとに成り立っていた。そして乃理子にばかり思いを寄せている今は、梓を裏切っているのかもしれない。そう思うと怖くなり、眠れない食べられないということになっていったんです」
今でも乃理子のことは終わっていない
乃理子さんのことは梓さんには話すことができなかった。日に日に憔悴し、ついには起きることもできなくなった彼を梓さんは心配し、病院に付き添ってくれた。
「うつ状態だと言われました。しばらく家で療養していたけど、いっこうによくならない。カウンセリングにもかかってすべて正直に話しましたが、気持ちの整理がつかない。そのうち、悩むことすらできなくなり、入院しました」
その間、梓さんが社長代行として会社を切り盛りしてくれたが、彼のようにいかないのは当然だ。だが妻は文句ひとつ言わなかったという。だからこそ罪悪感も募っていった。
「文句を言ってくれたほうが気が楽だったかもしれません。90代にさしかかっている義両親も、まだしっかりしていて助けてくれました。周りのおかげで、ようやく仕事に復帰できたのが半年前です。ただ、今でも乃理子のことは自分の中で終わっていないんです」
乃理子さんが話せるうちに会いに行くべきだった。文句や恨み言を受け止めるべきだった。あのときの彼女の涙は何だったのか、口を開いて今にも何か言いたそうだったが、その言葉はどういうものだったのか。考えても、知る術もない。彼はその後悔で、心が落ち着かないという。もう少したったら、連絡をくれた乃理子さんの友人にまた会い、墓参りをしたいと考えている。だが、それを乃理子さんが望んでいるかどうかはわからない。
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還暦を迎えても穏やかならざる心境で日々を送る好弘さん。いつしか自らを赦せる時はくるのだろうか……。乃理子さんとの出会い、プロポーズするも結婚に至らなかった彼女の秘密は【記事前編】で紹介している。
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