「おれ、辞めるかも。一番行きたくないところだよ」ノルマと過酷な指導に追い詰められ、自死した郵便配達員 妻が語る最期の日々

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 配達員によって捨てられた大量の郵便物。手段を選ばない保険営業や相次ぐ横領や詐欺――2007年の民営化以来18年、郵便局内ではさまざまな問題が発生。そして、2010年、さいたま新都心郵便局で自死が……。

 20年以上、「街の郵便屋さん」としてバイクで配達をしていた男性を追い詰めたのは、過剰なノルマとプレッシャーだった。妻のKさんへの取材から、その経緯をお伝えする。(引用はすべて、宮崎拓朗氏の『ブラック郵便局』より)

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 06年5月、Kさんの携帯電話に夫から着信があった。仕事中にかけてくるのは初めてのことだ。電話に出ると、夫は開口一番、こう言った。

「やばい、転勤になった」

 配達員にとって、効率良く仕事をするには、配達エリアの建物の並びや住所、道路事情を熟知することが不可欠である。当時46歳になっていた夫は、知り尽くした岩槻を離れ、異動先のさいたま新都心郵便局で一から土地勘を身に付けなければならなくなった。

 ただ、夫がショックを受けたのは、それだけが理由ではない。さいたま新都心局は、首都圏でも有数の量の郵便物を取り扱う拠点局。郵政民営化を翌年に控え、合理化のモデル局と位置づけられており、従来は座って行われた作業を立ち作業に変更したり、郵便物の仕分け作業にかかる時間をストップウォッチで計測して効率アップを求めたりする合理化策が先行的に導入されていた。

 夫は以前、さいたま新都心局に異動した同僚から「怒鳴る上司が多くてノルマも厳しい。どんどん人が辞めていく」と聞かされていたという。

 電話の向こうで夫は言った。

「おれ、辞めるかも。一番行きたくないところだよ」

配達に加えて販売ノルマまで

 異動後、夫は「モデル局だから、周りはみんな配達が速いんだよ」「焦ってしまってミスをしたり事故ったりしそうで怖い」などと仕事の悩みを打ち明けることが多くなる。慣れない地域で、時間に追われる配達業務に苦労しているようだった。

 新しい職場では、「事故を起こすな、配達ミスをするな、残業をするな」という指導が合言葉のように繰り返されていた。

 始業は午前8時だったが、それでは間に合わないため、夫は毎朝6時半過ぎには自宅を出て、7時半には職場に着くようにしていた。終業の午後4時45分までに配達が終わることはほとんどない。帰宅すると、「今日も忙しくて昼ご飯が食べられなかった」とため息交じりにつぶやく。自宅にいるときも、購入した住宅地図を広げ、配達エリアの道順を頭にたたき込んでいた。

 夫をさらに苦しめたのが、はがきや物販などの販売ノルマだった。

 特に重視されたのは年賀はがき。ノルマ達成を厳しく指導されており、夫も局の幹部から「何枚売ったんだ」「どういう計画でやっているんだ」と叱責されたことがあったという。

 毎年の1人当たりの販売ノルマは7000~8000枚。Kさんは夫を助けるため、知人に勧めて買ってもらっていたが、とてもこなせる枚数ではなかった。

「配達で精いっぱいなのに、年賀はがきの営業をする時間なんてないよ」

 夫は年末が近づくと、必要もないのに大量のはがきを自腹で購入して帰ってきた。自腹購入は職場で当たり前のように行われ、「自爆営業」と呼ばれている。中には、金券ショップに持ち込んで換金する同僚もいたが、こうした行為は社内ルールで禁じられており、夫は「俺にはできない」。自宅には使わない年賀はがきが山積みになっていた。

 ゆうパック商品の物販のノルマもあり、お歳暮やお中元、母の日といった歳時のたびに、食品などを自宅や親族宅用に自腹で購入していた。

 厳しい業務に追い打ちをかけたのが、上司たちによる高圧的な指導だ。夫は着任早々、上司が同僚に「なんだその口のきき方は」と怒鳴るのを目にした。

 そんな職場の風土を象徴していたのが、「お立ち台」だ。

 さいたま新都心局には、朝のミーティングなどが行われる広いフロアに台が備えられていた。管理職がその上に立ち、挨拶をしたり指示を伝えたりするために使われるものだ。だが、交通事故や配達ミスなどが起きると、発生させた配達員が台に立たされ、数百人の局員を前に、報告や反省、謝罪をさせられることになっていたという。

 お立ち台に上がった局員が言葉に詰まりながら、涙声で「すみませんでした」と謝ると、台を取り囲む上司たちは「声が小さい」「そんな謝り方はねえだろう」と罵声を浴びせる。夫自身は立たされたことはなかったが、「お立ち台に立たされた翌日、頭を丸めてきた奴もいたんだよ。俺は絶対に上がりたくない」と不安そうに語っていた。

 異動した翌年、当時小学1年だった長女は、夫を気遣って、こんな内容の手紙を書いている。

「一ばん大すきなのは、ぱぱとままだよ。すごくだよ。おしごとたいへんでしょ。ゆうびんのおしごとって雨の日もかぜの日もかみなりの日もはたらかないといけないんだよね。つかれたらおうちでゆっくりしてね。あさはやくからおきてるけどだいじょうぶ? がんばってね」

3度の病気休暇取得

 夫は、連休が取れれば2日目には必ず、Kさんや子どもたちを買い物や遊びに連れて行った。そんな夫が次第に外へ出かけなくなり、Kさんはいよいよ「何かがおかしい」と思うようになる。異動から2年後の08年2月、「病気じゃない」と言い張る夫を説得し、心療内科を受診すると、夫は「抑うつ状態」と診断を受けた。医師からの指示に従い、初めて1カ月間の病気休暇を取った。

 休むと体調は良くなったが、職場に戻るとまたプレッシャーを感じて元に戻ってしまう。復職から半年後、帰宅した夫は玄関でしゃがみ込んでしまい、再び受診。5カ月間、2回目の病気休暇を取った。亡くなるまでに3度、病気休暇と復職を繰り返している。

 夫はさいたま新都心局から異動して出ていった同僚から「配達エリアは広くなったけど、今までみたいに焦らされない。ノルマもさほど言われず、気持ちにゆとりが出てきた」と聞かされた。夫も毎年のように異動希望を出したが、上司の答えは「病気を治さないと異動させられない」。亡くなるまで、その希望が聞き入れられることはなかった。

 ずっと穏やかな口調で語っていたKさんだったが、この時のことを思い出すと、語気を強くした。

「職場のせいで病気になったのに、治さないと外に出してくれないなんておかしい。言い方は悪いですけど、死ねと言われてるのと同じですよね」

 3度目に復職する前には、Kさんは夫のことが心配で、職場へのあいさつに付き添っている。復職予定日の10年7月1日は、ちょうど「ゆうパック」とJPエクスプレス社の宅配便サービス「ペリカン便」が統合される日に重なっており、夫は上司から「仕事内容ががらっと変わっているから、覚悟しておけよ」と告げられたという。職場の壁には、販売ノルマの達成状況を示した個人別の棒グラフが張り出されている。Kさんはますます心配になった。

 夫が亡くなる8日前の10年11月30日は、Kさんにとって、忘れることのできない日だ。

 この日はいつもより遅く出勤し、夜までの勤務シフトだったが、午後10時になっても連絡が取れない。

「疲れて倒れてるんじゃないか」

 Kさんは居ても立っても居られず、寝ている子どもたちを自宅に残し、車を走らせて夫の職場へ向かった。11時すぎに到着すると、夫が仕事を終えて出てきた。

 夫は「今日は大変だった」と言う。知らない地域の夜の配達を任された上、道路工事で通行止めになっている箇所もあり、余計に手間取った。夜9時を過ぎてたどり着いた宅配先から「なんでこんな時間なんだ」と怒鳴られたそうだ。仕事を終えてようやく局に戻っても……。

「俺だったら『遅くなってどうしたの?』と声を掛けると思うんだけど、みんな黙ってるんだよ」

 Kさんの脳裏には、そう語った夫の疲れた表情が鮮明に焼き付いている。

 翌日は非番だった。心療内科を受診すると、医師から4度目の病気休暇を勧められた。だが、夫は「年末で忙しく、同じ班の人が二人も辞めてしまったので、今は休めない」と出勤を続けた。

 10年12月8日。いつものように「少しでも楽をさせたい」との思いで夫を最寄り駅まで車で送り、見えなくなるまで手を振って見送った。その少し後、夫からメールが届く。

「ありがとう いつも ~~(註・Kさんの下の名前)ちゃん ごめんね 行って来ます」

 それから間もない午前8時半ごろ。夫は出勤した職場4階の窓から飛び降りて亡くなった。

 Kさんが見せてくれた写真には、転落の衝撃でひもがちぎれ、ケースの割れた夫の社員証が写っている。

 翌日、自宅に荷物が届いた。差出人は夫。ノルマをこなすため、自腹で購入したゆうパックの商品だった。

「何でここまでしないといけなかったの……」

 Kさんは、受け取りながら、涙が止まらなかった。

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■相談窓口

・日本いのちの電話連盟
電話 0570-783-556(午前10時~午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/

・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/

・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話0570-064-556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jscp.or.jp/soudan/index.html

宮崎拓朗(みやざき・たくろう)
1980年生まれ。福岡県福岡市出身。京都大学総合人間学部卒。西日本新聞社北九州本社編集部デスク。2005年、西日本新聞社入社。長崎総局、社会部、東京支社報道部を経て、2018年に社会部遊軍に配属され日本郵政グループを巡る取材、報道を始める。「かんぽ生命不正販売問題を巡るキャンペーン報道」で第20回早稲田ジャーナリズム大賞、「全国郵便局長会による会社経費政治流用のスクープと関連報道」で第3回ジャーナリズムXアワードのZ賞、第3回調査報道大賞の優秀賞を受賞。

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