「自殺したくて堪らず、抗うつ剤を…」 日本で暮らすウクライナ避難民の苦境 「会社で働くのは難しく、外国人パブで週6日勤務」

国際

  • ブックマーク

「母は砲撃で亡くなり、エストニアに避難」

【前後編の後編/前編からの続き】

 2月24日でロシアのウクライナ侵攻から3年になった。いまだ彼の地では激戦が続き、戦禍を逃れ国外へ避難した人々は約700万人に上る。停戦の見通しが立たない状況下、故国から遠く離れて来日した避難民は、支援が先細りになる苦境をどう思っているか。

 ***

 前編【「月15万円稼いでいればよい方」「高齢者は引きこもって生活」 日本で暮らすウクライナ避難民のリアル 「支援への熱は冷めきっている」】では、凄絶(せいぜつ)な戦地から命からがら日本に避難したウクライナ人たちの窮状について紹介した。

 ウクライナ東部のセベロドネツクは、侵攻間もなく激しい砲撃にさらされ、ロシア軍に完全制圧されている。22年10月に日本に入国したヘネディ・シャーホフさん(23)とセルヒ・シャーホフさん(20)兄弟は、その地から逃れてきた。兄のヘネディさんは語る。

「両親は離婚しており、母と暮らしていました。その母はロシア軍の砲撃で亡くなりました。6月に占領されると、僕たち二人は親戚のいるロシアのサンクトペテルブルクに渡り、そこからエストニアに入った。当初は避難民への支援があり、ホテルで暮らせたのですが、すぐに打ち切られ、首都タリンで2カ月、古いクルーズ船の中で生活しました。最悪の時期でした」

「他のスタッフとコミュニケーションを取るのが困難で……」

 ヘネディさんは日本のアニメが好きで、日本へ行くことが夢だった。そこへ、エストニアで日本が避難民を受け入れていることを知り、来日を決意したという。

 兄弟は横浜市が提供する無償の市営住宅に住んでいるが、彼らの暮らしぶりもギリギリである。兄のヘネディさんによれば、

「毎週1回日本語教室に通っています。それ以外は週に2~3日、市内のニトリでアルバイトしている。1日8時間働き、給料は月に10万円ほど。他のスタッフとコミュニケーションを取るのが困難なため、仕事で人と関わるのがストレスになるので、働く日数をこれ以上増やしたくない」

「僕は週に2~3回、市内の無印良品でアルバイトしています。1日5時間ほどで、給料は月に7万円程度」

 と、弟のセルヒさんも話すが、精神状態が不安定になっているという。

「正月前は自殺したくて堪らなかった」

「日本に来てから常に不安を感じています。とくに最近、うつ病の症状が重たくなってきたようで、正月前は自殺したくて堪らなかった。それで通訳に同行してもらい精神科に行き、抗うつ剤を処方され飲んでいるのですが、その薬の影響か、最近はさらに気分が沈んでいる。メンタルが不調な時は、アルバイトの回数を減らさざるを得ません」

 彼らの故郷の街は爆撃で壊滅状態であるという。もはや帰国することもかなわない。兄は「僕の目標は日本に残り、ちゃんとした仕事に就いて家を持つこと」と気丈だが、20歳になったばかりの弟は「精神的にしんどいので、将来のことを考える余裕がない」と途方に暮れるのだ。

「日本の会社で働くのは非常に難しかった」

 それでは単身来日した若い女性の場合はどうか。

「避難民として先に来日した友人を頼って来ました」

 と話すのは、キーウ出身のアンナさん=仮名=(29)だ。彼女はキーウの大学を卒業後、銀行に勤め結婚したが離婚。2年前に来日、東京都荒川区の区営住宅に無償で住んでいる。当初は世田谷区の不動産会社で週に5日間働いていたそうだが、

「通勤するのが大変だったし、給料は20万円ほどでした。会社側は簡単な日本語を教えるなどサポートしてくれましたが、日本語が未熟な私が日本の会社で働くのは非常に難しかった」

次ページ:外国人パプで働き、月収は約30万円

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。