「月15万円稼いでいればよい方」「高齢者は引きこもって生活」 日本で暮らすウクライナ避難民のリアル 「支援への熱は冷めきっている」

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日本に至るまでの厳しい道のり

【全2回(前編/後編)の前編】

 2月24日でロシアのウクライナ侵攻から3年になった。いまだ彼の地では激戦が続き、戦禍を逃れ国外へ避難した人々は約700万人に上る。停戦の見通しが立たない状況下、故国から遠く離れて来日した避難民は、支援が先細りになる苦境をどう思っているか。

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 ウクライナからの避難民は、そもそも日本に到るまでの道のりで厳しい試練にさらされていた。話は3年前にさかのぼる。

 ヴィクトリア・コヴァロクさん(27)は、ウクライナの南東部ザポリージャ州のドネツク州との州境沿いの町で暮らしていたが、そこは現在ロシアの支配地域になっている。

 ロシアに占拠されたクリミア半島に近いザポリージャ州は、2022年2月に戦端が開かれてまもなく、原発施設を巡って激戦地となった。

「女性が暴行されることも多く、非常に危険」

 彼女は両親と妹の4人家族である。キーウ大学卒業後、日本への留学を希望して、日本食レストランで働きながら日本語学校に通い、日本語を話すこともできるようになっていた。理不尽な戦禍にまきこまれたのは、ちょうど休暇で帰省しているときだった。

「クリミア方面からロシア軍の侵攻が始まり、3月に入ってすぐに故郷の町はロシア軍に占領されました。最初の5日間はストレスのあまり何も食べられずに体重が8キロ痩せた。ずっと(隣のドネツク州の)マリウポリから爆撃音が聞こえており怖かった」

 と、ヴィクトリアさんは恐怖の体験を振り返る。

「40日ほどはおとなしくしていました。危険だったので、そうするしかなかったのです。占領された次の日には、近所に住む民間人の友人が家を出た途端、ロシア兵の銃撃を受けて殺されました。また、携帯電話の電波が通じる場所に町の人が集まっていて、ロシア軍はそこを狙い撃ちしました。女性が暴行されることも多く、非常に危険でした」

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