姫路城の入場料「市民以外1000円→2500円」でもまだ安すぎる もっと取るべき納得の理由
木造の高層建築に多くの観光客が入るリスク
加えて、デリケートな建造物が、莫大な数の観光客を迎えることの危険性について考えなければならない。姫路城を訪れた人は、2023年度は約148万人におよんだ(そのうち約45万人が外国人)。おそらく、そのほとんどが天守に登ったと思われるが、これほどの大人数を受け入れるのは、この天守が1609年(慶長14年)に完成して以来、はじめてのことである。
天守は城のシンボルではあるが、城が現役だったころ、天守が日常的に使用されることはなかった。藩主が生活し、政務を行うのは御殿だったが、姫路城の御殿は明治初期、陸軍大阪鎮台歩兵第十連隊の駐屯地を確保するために、すべて壊されてしまった。天守とは一般に、藩主でさえ特別なときにしか登らないもので、就任時に一度登って終わり、ということも珍しくなかった。そこにいま、毎日何千人もの人が登っているのである。天守は悲鳴を上げているに違いない。
管理する人を除けば、人が登ることが少なかった江戸時代にも、姫路城の天守は傷み続けた。江戸時代を通じて南東に傾き、昭和の大修理の際には、東大柱が南に20センチ、東に26・5センチ、西大柱も同じく22センチと26・8センチ、傾いていた。天守台の石垣の不同沈下が原因で、このために昭和の修理では、天守の膨大な重量に耐えられるように、コンクリート製の基礎が入れられた。しかし、問題が根本的に解決したわけではない。
すなわち、年間148万人もの人を受け入れること自体が、大きなリスクにつながっているのである。同じ国宝でも、たとえば二条城二の丸御殿は平屋なので、多くの人を受け入れれば傷むとはいえ、危険がともなうとまではいえない。一方、5重6階の高層建築である姫路城天守は、将来の損壊につながりかねないリスクを負うことになる。
だが、保存修理費用は、国からの補助もあるとはいえ、基本的には入場料収入に頼らざるをえない。それに、この唯一無二の遺産の価値を広く知らしめるためには、訪れてもらう必要がある。
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