松坂桃李「御上先生」があぶり出す… 現在の社会と教育現場に足りない「生身」の関係性
個人情報が非常にオープン
まだまだありますが、ひとまずこのくらい挙げておきましょう。いま『御上先生』の登場人物のプライベートな環境について、あれこれ書き連ねましたが、一人一人の情報がずいぶんわかるものです。視聴者として俯瞰できるからわかる、ということもありますが、たとえば3年2組の生徒のあいだでは、こうした情報がかなり共有されています。
私たちの実社会とくらべてみてください。私たちは周囲の人たちのことを、どれだけ知っているでしょうか。
私は子供のころ、向こう三軒両隣どころか、向こう七軒に両隣の三軒先ぐらいまで、家族構成のほか、世帯主の勤務先や場合によっては学歴、子供の学年のほか塾や習い事についてまで、よく知っていました。執拗に調べたのではありません。そのくらいは知っているのが当たり前だったのです。
ところが、いまでは向こう三軒両隣でさえ、家族構成ぐらいはだいたいわかっても、どんな職業の方なのか一切知りません。
状況が大きく変わったのは、2005年4月に個人情報保護法が施行されてからです。それからは徐々に、どんなに近所に住んでいても、職業や学歴をはじめとする個人情報は、聞いてはいけない雰囲気になっていきました。学校もそうです。先生が生徒の親の職業や学歴を聞くことはタブーになり、個人情報である住所や電話番号を第三者に知らせないという観点から、名簿すら作られなくなりました。
これでは先生は、生徒に問題が生じても、家庭環境から原因を探って解決策を見出すことはできません。名簿もありませんから、生徒同士の横のつながりも以前にくらべれば希薄になります。また、「個人情報」という言葉が独り歩きしているせいで、クラスメイトであっても、個人的な問題にはあまり深入りしてはいけない、という空気が醸成されています。
ところが、『御上先生』では個人情報が非常にオープンです。みなオープンにせざるをえない状況に追い込まれ、そのたびに横のつながりが深まります。
生身の人間を知る機会が描かれる
第6話では、週刊誌に書かれた過去、つまり兄の自死の問題について、生徒たちに「君たちには関係ない」といった御上に対し、富永蒼(蒔田彩珠)は「(生徒たちに)ちゃんと向き合ってください」と促しました。御上もそれを受けて、ホームルームの時間に覚悟を決めて、兄の過去と自分への影響について語り、「これからは(生徒たちから)絶対に目をそらさないと約束する」と言い放ちました。
このように『御上先生』では先生も、生徒も、あるいは生徒の行動によって人生を左右された人たちも、みな一定以上、自分をさらけ出しています。さらけ出さない人には、さらけ出すように促します。それはここ20年以上、個人情報保護法を意識するあまり、私たちが避けてきたことです。
『御上先生』は第6話こそ視聴率が9・1%でしたが、それまでは10%を超えていました。御上や生徒たちの言葉が胸に響いた視聴者が多いのだとしたら、それは個人情報保護の観点を超えて、たがいに干渉し合うこと、すなわち人間同士が真摯に向き合う姿が、心に響いているからだと思います。
先生が生徒の個人情報を知らずに指導しているいまの学校現場で、どれだけ適切な指導ができるのでしょう。私はかねがね疑問をいだいてきました。生徒同士も、相手に気兼ねしてぶつかり合うことを避ければ、人間を知る機会を逸してしまいます。こうして生身の人間を知る機会が失われつつあるから、SNSをはじめとするヴァーチャルな世界が力を持つことが、なおさら危険なのだと思っています。
『御上先生』で教育再生ストーリーがどう展開するか。まだ見通せないところが多いですが、少なくとも、こうして他者の問題にあえて踏み込み、人間が関係しあうことの大切さが示され、視聴者がそれに気づくことには、大きな意味があると思います。
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