いまの渋谷は「お金に余裕のある人しか楽しむことができない」…“ストリートカルチャーの発信地”が“息苦しい街”に変貌を遂げた理由

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東京人が羨む大阪・梅田の再開発

 昨年9月に先行開業した、JR大阪駅のうめきたエリアにある「グラングリーン大阪」が話題を集めているのは、所持金の有無にかかわらず「溜まったり、ぼんやりしたりできる場所」を都会の中心部に設けた羨望もあるのではないだろうか。大阪駅前の好立地に約320種、約1500本の樹木が並び、その広さは東京ドーム(46755平方メートル)に匹敵する。明治神宮外苑が再開発される東京人にとっては、文字通り“隣の芝生が青く見える”だろう。

 大開発が進み、駅を中心に大型複合施設が連環する現在の渋谷は、中身である人々の内面も、器である街も、「コントロールされる」ことに抵抗を示さない。

「コントロールされるということは、コントロールしている側の思惑を越えることはありません。型破りなものも出づらくなってしまうでしょう。ただし、快適ではある。「渋谷サクラステージ」などは顕著ですが、イベントを催し、人と人とが交流できる広場的な空間がたくさん用意されていることも事実です」

 その反面、「市(いち)という空間は、山姥や山男なども来ると言われていましたから、繁華街に変わった人や怖い人、さまざまな人が集う。たしかにイベントを開催すると知らない人たちが集います。ですが、管理下にある空間では、本当にワケのわからない人はいない」と続ける。

「回遊率」は高いが「滞留率」は低い街に

 快適さや利便性を求める人であればウェルカムだろう。だが、必ずしもそれを望まない人にとっては、こうした管理空間の広がる開発は息苦しさを伴うもので、“暮らしづらさ”をもたらす。

 特に、渋谷はストリートが魅力的だからこそ、表参道に、原宿に、代官山に、恵比寿に、奥渋谷に――、そうした衛星的なエリアに人が流れていった。人が往来するからこそ、その途中途中に個性的な個人店もたくさんあった。だが、コロナ禍もあって、その数は随分と少なくなってしまった。

 渋谷という街が、若者の街と呼ばれるようになったのは、第二次ベビーブームによるところが大きかった。日本は、1973年(昭和48年)の出生数約209万人をピークとする、1971年から1974年までの4年間に、立て続けに出生数200万人を超える第二次ベビーブームを迎える。第二次ベビーブーム世代に合わせる形で開発すれば、街は潤う。その世代に合わせるように、渋谷の街は変化し、現在にいたる。お金を持つ者ではないと過ごしづらいのは、こうした背景があるからでもある。いつまでも、若者の街ではいられないのだ。

「作り上げた空間は基本的に商業空間ですから、いかにお金を使ってもらうかが焦点になります。少なくとも、今の渋谷駅周辺に関しては、“お金に余裕のある人”しか楽しむことができない場所になりつつあります。かつての渋谷には、ストリートの文化がありました。お金を持っていなくても、良くも悪くも溜まったり、ぼんやりしたりできる無償の場所があった。管理された場所が増えるということは、回遊率は高くなるだろうけど、滞留率は低くなります」

 巨大複合施設に架けられた歩道橋をぐるぐると歩いていると、まさしく回遊という言葉を実感する。消費する魚群。

「渋谷フクラス」につながる歩道橋から、渋谷駅西口が見える。入り口というよりも、取り壊し寸前の違法建築のようでもある。しかし、この入り口は数少ないかつての渋谷を知る生き証人だ。まるで門番のように、じっと開発の景色を見つめ、人々を吸い込んでいく。

 この景色も近い将来見られなくなるだろう。ぼんやりと歩くのはもったいない。駅から放射状に広がる歩道橋を歩いていると、地上のストリートは視界に入らない。渋谷を通じて、東京の開発を覗いたような気分になる。

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 この記事の前編では、「災害対策」の側面を持つ渋谷再開発の概要や、空中回廊の“特徴”について、より詳しく取り上げている、

我妻 弘崇(あづま ひろたか)
フリーライター。1980年生まれ。日本大学文理学部国文学科在学中に、東京NSC5期生として芸人活動を開始。約2年間の芸人活動ののち大学を中退し、いくつかの編集プロダクションを経てフリーライターに。現在は、雑誌・WEB媒体等で幅広い執筆活動を展開。著書に『お金のミライは僕たちが決める』『週末バックパッカー ビジネス力を鍛える弾丸海外旅行のすすめ』(ともに星海社)など。

デイリー新潮編集部

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