いまの渋谷は「お金に余裕のある人しか楽しむことができない」…“ストリートカルチャーの発信地”が“息苦しい街”に変貌を遂げた理由

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 現在、渋谷は2027年まで続くと言われる「100年に一度」の再開発が進められている。渋谷駅はアメーバのように形を変え、四方に触手を伸ばすように延伸するが、その一方でかつてあっただろう“渋谷らしさ”は希薄化している。ストリートの街・渋谷は、非ストリート(≒管理下にある場所)の街へと転換する逆転現象の最中にいる。【我妻弘崇/フリーライター】

(前後編の後編)

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“渋谷らしさ”がなくなっていく渋谷

 現在の渋谷駅は、大型複合施設同士が歩道橋でつながる世にも奇妙な構造をしている。例えば、青山通り、渋谷クロスタワー方面にある「渋谷アクシュ」から道玄坂方面の「渋谷マークシティ」までは、一度も地上に降りることなく往来することができる。渋谷は、その地名が表すように、坂を下ったり、上ったりする「谷」の街だが、地上2~3階ほどにある歩道橋をつたって移動できるため、フラットな移動が可能となった。

 反面、渋谷と言えば、“公園通り”“センター街”“文化村通り”“ファイヤー通り”といった名前が示すように、ストリートからカルチャーが生成される街だ。コギャル文化は、その最たる例だろう。だが、駅周辺が一つの巨大な屋内として機能することで、そこだけで完結できる空間が広がりつつある。おのずとストリートに降りる人は減り、渋谷らしさは希薄化する。

「ストリートは、ある意味ではコントロールが及ばない場所。一方、屋内(=企業の私有地)になれば、管理者がいますから、コントロール下に置かれている場所でのふるまいという内省的な意識が強まる」

 そう話すのは、都市の民俗学に精通する、國學院大學の飯倉義之・文学部教授だ。

「渋谷は企業が足並みをそろえて開発してきた街ではなかった」

「コロナ禍によって、日本社会はソーシャルディスタンスをはじめとした、さまざまなルールを設けました。私たちは、こうしたルールを受け入れ、新たなルールを守って動くようになりました。コロナ禍によって生じた“ルールを守る”という意識は、私たちの心に強く働きかけたのではないかと思います」(飯倉教授、以下同)

 決められたことにはきちんと従うという思考が内面化されたことで、コロナ禍を経て、我々はコントロールされることに「慣れてしまった」かもしれない。コロナ前は、毎回、問題提起が起こるほどのパニックを生み出していた渋谷のハロウィーンも、今では混乱を生むことなく無事に終了する。また、昨今はインバウンドが観光地や街中(ストリート)でルールを守らないことがニュースとしてクローズアップされるが、そうした行為に対して、必要以上に目くじらを立ててしまうのは、「自分たちはルールを守っているのに」という内面化された意識の反動とも言える。

 飯倉教授は、「大開発は防災的な観点もある」と前置きした上で、「そもそも渋谷は企業が足並みをそろえて開発してきた街ではなかった」と説明する。

「80年代の東急と西武の競争は最たる例ですが、競争してきたからこそモザイク状の不思議な町ができあがりました。さらには、百貨店とは趣を異にするように個人店が林立することで、渋谷のストリートには多様な風景が広がっていきました。言わば、“たまたまそうなってしまった風景”でもあった」

 しかし現在は、前編で触れたように災害対策も考慮し、足並みをそろえるように開発が続く。各大型複合施設への歩道橋出入り口(の階層)が統一されているのは、あくまで導線を優先しているからだ。実際、空中回廊とも言える各施設をつなぐ歩道橋を介して、東西南北へアクセスできるのはとても便利だ。

 だが、管理下に置かれる空間が増えれば増えるほど、その秩序からはみ出す人は空間から追い出され、所在を失う。そのためストリートは、そうしたはみ出し者、あるいはお金がない者を内包する盛り場としての機能も持っていた。コロナが訪れる前までは。

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