実はいま、1歩も地面を踏まずに“渋谷”が1周できます…100年に1度の再開発で生まれた「巨大空中回廊」を歩いてみた
いつしか“高低差”を感じない街に
避難のしやすさを考慮し、空中回廊と各大型複合施設をつなぐ出入り口(の階層)は統一されている。本来であれば、出入り口はもっとも人が集まる場所であるため、各施設とも“目玉”となる店舗を構えたいだろう。しかし、導線を優先するため、あくまで通路としての機能に徹している。駅中心から東西南北に直結してアクセスできるのは便利だし、雨天時などはたしかに助かる。
一方で、高低差を感じる渋谷の街に慣れた者からすれば、無機質と言えなくもない。階層が変わっていることに気が付かないくらいシームレス――ということは、まるで巨大なドーム空間を歩いているような感覚に陥り、なんだか大きな公共施設にいるような錯覚を覚えてしまうのだ。
こうした疑問を、都市の民俗学に精通する國學院大学の飯倉義之・文学部教授にぶつけてみると、思わず膝を叩きたくなる回答を得た。
「再開発が進むほどに、渋谷はコントロールされた街に」
「渋谷の街は、“公園通り”“センター街”“文化村通り”“ファイヤー通り”といった名前が示すように、ストリートの街として発展してきました。こうした通りに百貨店や個性的なお店が集い、モザイク状にカルチャーが発信されていきました。しかし、現在の渋谷は、駅周辺がドーム化され、そこだけで完結できる空間が広がっている」(飯倉教授、以下同)
それだけではない。人の流れを意図的に統制しているため、
「現在の渋谷駅を中心とした一大屋内空間は、コントロールされた空間でもある。商業施設には管理者がいますからね。再開発が進めば進むほど、渋谷がコントロールされた街になっている感は否めません」
地上2階の空間を行き来できることで、ストリートに下りる機会も減少するだろう。結果、かつてはあっただろう“渋谷らしさ”はますます希薄化していくのではないかと指摘する。
「ストリートは、ある意味ではコントロールが及ばない場所でもあります。誰がいてもいいし、誰もが使えるところです。だからこそ、コギャル文化をはじめとしたストリート文化が、渋谷ではいくつも生まれてきました。しかし、屋内(=企業の私有地)になれば、管理者がいますから、コントロール下に置かれている場所でのふるまいという内省的な意識も強くなります。コントロールできない人やルールを守れない人は排除されてもしまう。現在の渋谷は、内面的にも外面的にもコントロールの力が働く。ストリートの街として発展してきた渋谷とは、対照的な街の姿とも言えます」
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都市としての機能性が増せば、反比例するようにその街にあった表情は褪せていく。渋谷から感じる無機質の正体――。この記事の後編では、その点をさらに深掘りしていく。