「人はどうして自分が死ぬことを特別のこととして考えるのでしょうかね」 “死”を意識した横尾忠則が今思うこと

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 久し振りに倒れました。1週間前に急に重い咳と痰がからんで、声もかすれ、身体に普段以上の重力がかかって動きにくくなったのです。熱は36.9度。それでも続く来客に応対していました。

 ここ数年の間は絵の制作の日々を続けていたものの、その間、一度も倒れるようなことがなかったので、老齢になるに従って体力がついて来たのかなと思ったりしていたのですが、やはり息切れがしたり、真っすぐに歩けなかったりで、そんな時は年は争えないなあと妙に感心したりしていました。

 3年前に展覧会用の絵の制作中に急性心筋梗塞で倒れ、カテーテル手術を受けていますが、その時は身体に大きいダメージを受けたために、医者から2週間は安静にするように言われたものの、病気になったという感覚がほとんどなく、2週間後から再び制作に入り、1年余りで100号~150号サイズの作品を100点制作しているので、まだ体力はあったように思います。

 ここ1年ばかりは世田谷美術館での個展の作品を60点、それも大半は150号を仕上げて、しばらく手持ちぶさたな時間をつぶしていました。そこへ襲ってきたのが、感染による気管支炎で、そのために1週間は完全にダウンしていました。

 昨日の病院での治療ではほぼ病気は抜けたと告げられて、2~3の約束ごとはキャンセルしたり延期をして、現在はアトリエで無為な状態の時間つぶしをしています。読書には興味がないので、こういう時は、ただぼんやりしているだけです。自分に残こされた時間はそうないのですが、先きのことを考えれば、わけのわからないことがウワーッと襲って来ますので、考えないことにしています。

 あと半年ほどで89歳になりますが、まあ、長く生かされたものだなあ、とか、89年なんてこんなもんかと考えたり、あと何年生かされるのかな、と想像できない想像を想像しています。

 でも若い頃の病気と違って、老齢になってからの病気は、なんとなく死と直結しているような気がしないでもないです。今回の病気だって、凄くガクンと来た瞬間にヤバイ、と考えて小さい覚悟のようなものが襲ってきましたが、医師の言葉で忘れてしまいました。

 僕の年齢で亡くなる人も多いですが、90代まで生きて仕事をしている人もいます。僕の知人にもそういう人が何人かいますが、その人達を対象にすると、妙な希望も湧いてきます。僕は幼少時から身体が弱かったので、元気で長生きしている人とは比較できませんが、現実に100歳を越えた老人が9万5000人もいるといいます。その9万5000人の仲間には入れないと思うので、北斎が生きた年齢までいけばいいかと思いますが、北斎は確か90歳でしたか。するとあと2年か! すぐですね。もうこんな話は止めときましょう。

 全人類、過去の全ての人間が死んできたというのに、人はどうして自分が死ぬことを特別のこととして考えるのでしょうかね。

 死ぬということはこの世界が消滅するということです。現在、自分を取り巻いているこの生活空間を手離すということです。大事な人や大事な物から切り離されてしまうということです。

 それも物質的なものから別離することがなんともやり切れない、ということで死を恐れるのです。私という肉体とも別れます。世界の大金持ちだって一文無しで死んでいきます。天下の美男美女も骸骨になってしまいます。

 死ぬということは無責任になるということではないでしょうか。自分の生きた歴史からも、獲得した地位も財産も付き合いのあった人達からも無責任になることだと思います。

 ざっと家やアトリエを見渡すと、その全てが、今の自分を形成してきた物です。僕の場合でいえば、残こされた作品が沢山あります。コレクションした他人の作品や本も山ほどあります。色んな記念品や写真も沢山あります。それが死ぬと同時に多分散逸する運命にあると思います。それらのことをいちいち考えたり想ったりしていると死ねません。残こった家族もいずれ僕が今考えているようなことを考えながら、それぞれの死を迎えることになるでしょうね。

 人は誰でも自分は特別の者だと考えて生きてきたように思います。だから生きて来られたのです。だけど死によってその全ては手離さざるを得ないのです。また手離す必要があるのです。だから仏教は執着と欲望を捨てる、煩悩も捨てて、裸一貫で死になさいと悟らせようとしているのです。悟りとは執着と欲望から自由になることだと仏教は言っているのです。生まれたままの状態で死になさいと言っています。

 つまり人間は悟るために生まれてきたのです。言い方を変えれば死ぬために生まれてきたのです。大事なのはやはり死ぬことから無責任になることじゃないでしょうか。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年2月27日号掲載

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