“鉄道好きの女性”に光を当てた「鉄子の旅」案内人・横見浩彦さん逝去 ファン拡大の功績と残された課題

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「トラベルライター」という肩書に“違和感”

 近年の鉄道マンガでは異例のヒット作になった『鉄子の旅』。その作中で案内人役を務めた横見浩彦さんが、急性心不全で2025年1月19日に死去していたことが小学館の『サンデーGX』編集部から発表された。

 筆者は2007年から2008年までの短い期間ながら、横見さんと週1回ペースでファミレスやファーストフード店、仕事現場などで会い、毎回3~4時間にも及ぶ長話をする間柄だった。

 詳しくない読者に説明しておくと、横見さんは1995年にJR全駅訪問を達成し、その体験を見込まれて小学館からマンガ『鉄子の旅』の案内人役に抜擢された。同作はコミカルな内容と横見さんのキャラクターがウケて、鉄道ファンのみならず幅広い読者から支持を得ている。

『鉄子の旅』がヒットしたことで、それまで無名だった横見さんは注目の人となる。以降、テレビやラジオ番組にも出演するようになった。

 それら番組出演の際、横見さんはトラベルライターという肩書きで紹介されていた。これは、『鉄子の旅』の作中で用いられている肩書きをそのまま使用しているわけだが、筆者には違和感を抱かざるを得ない。

『鉄子の旅』の読者なら周知の話だが、横見さんは鉄道に乗ることだけに執着し、ご当地の名産品や観光名所にはいっさい興味を示さない。鉄道には詳しいが、一般的に旅を満喫できるグルメや温泉、アクティビティにも詳しくない。

 なによりもトラベルライターとしては致命的でもある文章を書くことが大の苦手で、ほとんど原稿を書くことがなかった。本人も「仕事依頼がきてもインタビューなどの話す仕事だけを引き受け、書く仕事は断っている」と明言し、ひたすら書くことを忌避していた。

 そうした性分を踏まえると、横見さんはトラベルライターではなく、鉄道ライターでもなかった。プロの鉄オタと表現した方がしっくりくる。

 文章を書けないのに、それでも横見さんがトラベルライターの世界に飛び込んだのは、レイルウェイ・ライターの種村直樹さんに影響を受けたからだと聞いた。

 横見さんは2007年に開催された鉄道フェスティバルのステージイベントに登壇しているが、控え室に種村直樹さんが訪れてきた。出演前の慌ただしい時間だったこともあり、種村さんとの会話は短かったが、いつもなら場の空気など読まずに妙なテンションで話し続ける横見さんが、神妙な態度で接していたことが印象深かった。

 種村さんは鉄道ファンなら誰もが知る大作家で、新聞記者出身のために著作も硬派な内容となっている。種村さんの著作を読んで、鉄道の虜になったというファンは少なくないだろう。

 一方、横見さんの文章を読んで鉄道の魅力に取り憑かれた人は少ない。前述したように、横見さんは文章を書くことはほとんどなかったからだ。横見さんのファンの大半は、『鉄子の旅』が入り口になっている。

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