いったい誰が、何のために? 2.37mの“巨大蛇行剣” 日本古代史「謎の4世紀」の解明なるか
古代日本には「謎の4世紀」と呼ばれる時期がある。紀元57年、奴国が中国の後漢に遣使を送り「漢委奴国王」の金印を授受したことは、教科書でも大きく取り上げられている有名な史実。107年にも倭国王・帥升が後漢に奴隷160人を献上した記録が残っている。239年には邪馬台国の卑弥呼が魏に遣使し、刀と銅鏡を授受した。しかし、その後、中国の歴史書に古代日本に関する詳細な記述はされなくなり、5世紀前半に倭の五王による宋への遣使が始まる時期まで、150年ほど“ジャンプ” してしまうのである――。
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その大きさはサッカーゴールの縦幅とほぼ同じ
邪馬台国や卑弥呼は、中国の歴史書「三国志」の一部、いわゆる「魏志倭人伝」の中に登場し、倭の五王・武については宋の正史である「宋書」の中にその記述を認めることができる。
ところが、「謎の4世紀」については、中国の歴史書に一切の記述が見当たらず、当時の様子が闇に包まれたままなのである。
しかし3年前、その空白期間を埋めることになるかもしれない、大発見があった。
4世紀後半頃の築造と推定されている奈良県の富雄丸山古墳から、全長が2メートル37センチにも及ぶ、巨大蛇行剣が発掘されたのだ。蛇行剣とは、日本の古墳時代に見られる鉄剣で、剣身が蛇のようにうねうねと曲がりうねった形状をしたもの。
サッカーゴールの縦幅とほぼ同じ長さであるこの巨大な蛇行剣は、これまで見つかった古墳時代の剣として最大の長さを誇り、重さは10キロを優に超えているという。
“それは剣と言うにはあまりも大きすぎた”という漫画『ベルセルク』(三浦建太郎、白泉社)の有名な一節が頭に浮かぶが、ガッツのようなキャラクターでないと振れないような、この巨大蛇行剣は、いったい誰が、何のために作らせたのだろうか――?
謎の多い巨大蛇行剣
現地取材を含む約1年半の制作期間をかけ、巨大蛇行剣発見の模様をドキュメンタリー映画「巨大蛇行剣と謎の4世紀」として編集した、TBSテレビの山﨑直史監督に話を聞くことができた。
「もともとは、富雄丸山古墳から少し離れた場所にある、佐紀古墳群を航空レーザーで調査する様子を取材しようと思っていたんです。ところが、同行させてもらう予定だった研究者に連絡したとき、“他にも大変なものを見つけてしまった”と」(山﨑監督)
その研究者とは、考古学者で奈良市埋蔵文化財調査センターの村瀨陸さんだ。
「TBSでは警視庁捜査一課や東京地検特捜部担当など長いこと事件記者を任されてきましたので、あの手この手で、いったい何があったのか聞き出そうとしたのですが、村瀨さんはいっこうに口を割る気配がありません。“今は何も言えない。とにかく記者会見に来て欲しい”と」(同)
これはただ事ではないな、と山﨑監督が現地に飛んだのが2023年1月のことだった。
「その会見で披露されたのが、同時に出土した巨大蛇行剣と盾形銅鏡でした。どちらも中国の歴史書に記載のない“謎の4世紀”の時代の、第一級の歴史資料です。いずれ国宝に指定されることはまず間違いないでしょう。それぐらいの代物です」(同)
ただ、この巨大蛇行剣と盾形銅鏡には、分かっていないことも多い。
「そもそも、発見されたのは王など位の高い人物が埋葬される『前方後円墳』ではなく、それよりもステータスの低いとされる『円墳』ですし、その円墳の中でも中央の埋葬室ではなく、入り口にあたる“造り出し”と呼ばれる箇所で見つかったのです」(同)
古墳から蛇行剣が見つかったのは今回が初ではなく、これまで80本ほどが発掘されてきたそうだ。ただ、そのサイズは最大でも80センチほどだった。それが、いきなり2メートル37センチである。
「取材した別の考古学の専門家も、前方後円墳ではなく、どうして円墳から…? と首を捻っていました。謎が多いこともまたこの巨大蛇行剣の魅力と言えるかもしれません。どうしてだろう…とあれこれ考えを巡らせる楽しみがありますからね」(同)
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