「平成の仕掛人」にしてアントニオ猪木の片腕…名プロモーター「永島勝司さん」のあまりにもプロレス的な人生
「猪木から電話があったんだ」
現在は石川県知事を務めている馳浩が、文部科学大臣を務めていた際のインタビューも記憶に残る。自民党本部に着くと、馳の部屋の前に行列が出来ていた。我々の取材が終わってから、馳の専門分野でもあるフリースクール関連の方々と会談予定があり、既に待機していたのだ。文字通り、分刻みのスケジュールの中、馳本人が極めて難しい顔をして現れた。ところが、永島の姿を認めると、途端に破顔一笑した。
「あれぇ!? オヤジぃ! なんだ~、まだ生きてたのかよ~(笑)」
タヌキ親父、(髪型から)ゴマ塩など、おふざけを感じる永島の別称は多々ある。だがその瞬間、選手たちには慕われていたのだなという意を強くした。
猪木とのホットラインも2015年に復活した。猪木が出席するパーティーに、永島と突入し、そこで直接、猪木に携帯番号を渡すという手段を編集サイドが考案したのだ。ところが、いざ、猪木を目の当たりにすると、異変が起こった。
「猪木……久しぶりだなあ……元気だったか……?」
永島はポロポロ泣いたのである。再会の嬉しさを如実に物語っていた、素面での涙だった。猪木の目も潤んでいた。
以降、筆者が会うと、「昨日は良いことがあったよ(笑)」と切り出すことが多くなった。「おっ!? 何でしょう?」とうながすと、答えは決まっていた。
「猪木から電話があって、話したんだ」。
嬉しそうな笑顔が、今も胸に残っている。
永島さん、リング上の数々の激闘実現への腐心含め、たくさんの思い出をありがとうございました。そして、さようなら。
天国で猪木さんと、たくさん話せますように。
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