「平成の仕掛人」にしてアントニオ猪木の片腕…名プロモーター「永島勝司さん」のあまりにもプロレス的な人生
「苦労したんだな……」
永島とある交渉をした、他団体のフロントが語る。
「ビッグマッチで、ファイトマネー2000万円の契約だったのに、試合が終わると『1000万円だったよね? ね、やっぱりそれで頼むよ』と。しぶしぶこちらも了承したら、翌日、1500万円振り込まれていた。『このタヌキ親父め』と思ったもんですよ(苦笑)」
猪木の引退試合に、「東京ドームにローマのコロッセオを建築して、猪木がそこに帰って行くラストにしたんだ。ありゃ、自分でも良い演出だったな~!」と豪快に語り、同席した編集者が感動していたので、後から「コロッセオを作ったんじゃなくて、コロッセオが描かれた幕が用意されていただけですよ」と筆者から説明しておいた。「家族よりも、よほど一緒にいた」という猪木の女性関連の話になると、「アイツは胸が大きければそれで良いんだ」が決まり文句だった。筆者が、「でも、3番目の奥さんのNさんは、スレンダーでしたよね」と言うと、強い口調で、こう返した。
「いや、Nちゃんも胸は大きいんだよ! 知らないけど、多分!」。
こんな調子だっただけに、東京でも住みたい街の上位に必ず入る駅に自宅を持ち、子供は全て一流大学に行かせる良き家庭人の素顔を知った時は、そのギャップに感じ入るものがあった。そして、酔うと涙腺がことの他、ゆるくなった。永島が好きだという太巻きをプレゼントすると、号泣して喜んだという逸話を川田利明が自伝で明かしているが、決して大袈裟ではない。新日本プロレスとUWFインターナショナルの対抗戦で勝利を重ね、孤軍奮闘した垣原賢人選手が、悪性リンパ腫の治療に入った時期(2015年)、筆者がたまたま酒席でそれを教えると、突然、大粒の涙を流した。
「そうか……。彼がいてくれたからこそ、UWFインターとの対抗戦は続けることが出来たんだよ。『頑張れ』と伝えておいてくれ……」
橋本真也の元夫人と同席のインタビューで、橋本との離別の際の苦しさを彼女が語ると、「苦労したんだな、苦労したんだな……」と号泣していたのも忘れ難い。
2015年、新しい会社を作ることになった。酒席で永島及び関係者と同席した友人のデザイナーが、まだ新会社の名刺がないと聞き、「作りましょうか?」と請け負い、完成品を先方に送ると、何度も永島の事務所から着信があった。折り返すと、関係者から電話を替わった永島は言った。
「いやぁ、立派な名刺をありがとうっ!」
友人が再び替わった関係者に「わざわざお電話ありがとうございます。メールでも良かったですのに……」と伝えると、関係者は言った。
「いえ、永島が、『こういうことは、ちゃんと言葉で お礼を言いたいんだ!』と言って聞かないものですから……」
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