「平成の仕掛人」にしてアントニオ猪木の片腕…名プロモーター「永島勝司さん」のあまりにもプロレス的な人生

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「カ、カテェな……」

「闘魂三銃士」の中で、武藤敬司や橋本真也の後塵を拝していた印象のあった蝶野正洋が「G1 CLIMAX」を制覇すると、ことの他、喜んだ。新日本の新たな抗争相手として、誠心会館(空手)の若手勢を見出すと、「先ず(1月4日の)東京ドームのリング上で挑戦状を読み上げてみて。それが出来る?」と挑発。堂々とした斎藤彰俊の読みっぷりに感心し、「肝が据わってるな」と新日本との抗争にGOサインを出した。こちらは後の反選手会同盟(平成維震軍)に繋がる、大きな流れとなった。

 2000年、所属日本人選手が川田利明と渕正信だけになった全日本プロレスとの対抗戦を画策すると、「そんなの、戦わなくても、放っておけば潰れるじゃないか」と反対する猪木をこう、くすぐった。

「だけどよ、全日本プロレスには、ジャイアント馬場の影があるぜ」

 数々のヒット企画を産みながら2002年、長州力率いる新団体WJの旗揚げに参画するため、新日本プロレスを退社。一時的に猪木との不和もあった。ところがそのWJが左前となると、猪木に酒席を持ちかける。共に飲んでいると、猪木は言った。

「そうだ、今度は長州も入れて飲もうぜ。ワハハハハ」

 永島はこう述懐した。

「新日本とWJの対抗戦に活路を見出したい俺の真意を、言わずともわかってくれた。彼の懐のデカさを思い知ったよね……」

 だが、その後に長州が単独で、橋本真也率いるZERO-ONEと契約してしまったため、対抗戦はご破算となり、WJは活動停止に。また、猪木の最後の妻となった橋本田鶴子さんの携帯電話等の管理により、親族らと同様に、猪木と連絡が取れなくなった。

 八方ふさがりと思われた永島だが、2009年にちょっとしたブレイクを果たす。プロレスの実録漫画に本人役で登場し、その中で言った「カ……カテェ……」という台詞がプロレスファン界隈で流行語となったのだ。

 載ったのは『プロレス下流地帯』(宝島社)というムックで、考えが頑なな長州に対し、永島が心中で呟く台詞なのだが、実はこれ、永島発の言葉でもなんでもなかった。こちらを本当に言ったのは(元)新日本プロレスのY選手で、編集者と東北の温泉に入った際、「長州さんも、カッテェんだよな」と呟いたのである。これを覚えていた編集者が「この言葉は面白い」と、同漫画のプロット(粗筋)を上げる際、永島用に流用したのだった。

 おまけに永島の信条は元東スポ記者らしく、「プロレスとマスコミは、持ちつ持たれつ」。なので、自分のインタビューや同漫画についても、チェックは基本的に無かった。こちらを信頼してくれていたのである。よって、最初はファンに「カ、カテェ……」と言われてもわけがわからずキョトンとしていた永島だが、自分が言ったという設定になっていると知ると、ちゃっかりとその流れに乗っていた。そういう性分は昔から変わらないのか、新日本プロレスの選手たちが永島につけていたあだ名は以下だった。

「タヌキ親父」

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