阿部監督「70億円補強」で検証 「巨人“大物”大量獲得の年はV逸」のジンクスは本当か
巨人は昨オフ、チーム史上最高額となる総額70億円超えという大補強を敢行した。来るべきシーズンはセ・リーグ連覇と、2012年以来となる日本一奪還へ十二分の戦力が整ったといっていい。巨人軍の歴史は繰り返される大型補強をなくてして語れないが、必ずしもその補強はすぐに成果が出たわけではないのも事実だ。過去の失敗例から、巨人が大物選手を大量に獲得した年は優勝を逸することが多いと言われることも。FAがスタートした長嶋政権以降の大補強とそのシーズンの成績について整理してみた。
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それは「満額回答」の大補強だった。昨季4年ぶりにリーグ優勝を果たした阿部慎之助監督のリクエストに、巨人のフロントはすべて答えた。補強費の多くを中日を自由契約になった昨年のセ・リーグセーブ王、ライデル・マルティネス投手へ費やし、4年総額3250万ドル(約48億8000万円)で獲得。「このオフの補強の目玉。これで巨人の今季優勝確率は大きく高まった」(夕刊紙記者)。続いてソフトバンクからFAで甲斐拓也捕手を獲得。そして昨季はわずか1試合しか登板せず、楽天を自由契約になっていた田中将大投手も獲得した。「すべて阿部監督の“希望通り”の補強だというのだから、こんなことは巨人にしかできないよ」と他球団のスカウトも完全に白旗を上げていた。
「男の花道を飾ってくれ」
巨人が露骨な大型補強への道を突き進み始めたのは、1993年オフだった。長嶋茂雄監督が電撃復帰したシーズンが3位で終わり、そのオフにはフリーエージェント(FA)制度が導入される。監督が「チームに“毒”を注入してくれ!」と、独特の言い回しでライバル中日の4番だった落合博満内野手を獲得したのが幕開けである。横浜から屋舗要外野手も獲得して迎えた1994年シーズンは、最終戦に同率首位で並んだ中日と勝った方が優勝という10・8決戦に勝利して優勝。日本シリーズも制して日本一に輝いた。
この成功体験からか、長嶋監督はその後、補強対象を各球団の「4番打者と左投手」に絞る。1995年シーズンにはヤクルトの4番・広澤克己(現・克実)内野手と、西武へのFA移籍が9割方固まっていた広島の左腕・川口和久投手を、共にFAで獲得。「それでは足りずにヤクルトのジャック・ハウエル内野手に加え、近鉄の左腕・阿波野秀幸投手もトレードで獲得しました」(巨人関係者)。しかし、この年はリーグ3位に甘んじる。1997年シーズンには、FAの目玉中の目玉だった清原和博内野手(西武)を獲得。キャンプイン直前に近鉄の4番経験のある石井浩郎内野手をトレードで獲得し、圧倒的な戦力アップとなったが4位に終わっている。
この後2年ほどは補強も成りを顰めたものの、3年連続V逸の事態に陥り、長嶋巨人がまた大補強に動いたのが2000年シーズン。土俵際の長嶋監督はダイエーでFA宣言した工藤公康投手の獲得に走る。福岡の自宅になんと“アポなし”で訪問して「ジャイアンツで男の花道を飾ってくれ」というラブコールの末、中日との争奪戦を寄り切った。また、同じくFAで、長嶋監督がつけていた「33番を譲る」と4球団争奪戦となった広島の4番・江藤智内野手も獲得した。この年は王ダイエーを破り、長嶋巨人が日本一に。工藤は12勝5敗、江藤も32本塁打91打点をマーク。大型補強が攻守両面で実った象徴的なシーズンとなった。
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