「ギャラは全額寄付」でも「おばあちゃんを食い物に」…「きんさん・ぎんさん」ブームの裏側
朝7時に起きて夜8時に寝る
もちろん人並み以上の長寿ゆえに、病気や事故で夫や子供に先立たれるような不幸も味わわされてはいたが、
「70歳を過ぎた頃からは近所を散歩したり、日向ぼっこをするのだけが日課みたいな、実に平穏無事な毎日でした」
と、ぎんさんの五女・蟹江美根代さん(77)が言えば、きんさんの四男・成田幸男さん(70)もこう肯くのだ。
「朝は7時に起きて、夜は8時頃には寝るという生活を続けていた。その間、手先が器用だったので、家にこもって編物ばかりしていましてね」
そんな双子姉妹の平和な隠居生活がガラッと変わるのは、二人が数えで百歳の誕生日を迎えてからのことだった。この年に愛知県と名古屋市から長寿を祝ってもらった様子をNHKが放映。その時の二人を見たという広告代理店から突然、CM出演の話が舞い込んできたのだ。最初は固辞したそうだが、相手の熱意に負けて受諾……これがブームのきっかけとなった。
遺産もほとんどゼロ
最初の“きんさん・ぎんさんCM”の仕掛け人で、現カタログハウス企画室の浅野宏さんはこう回想する。
「91年の11月に撮影は完了したものの、CMのオンエアー予定は翌年の正月。しかし、あの高齢でしょう? その2カ月間に姉妹に何かあったらと、本当に気が気でなかった」
まさか二人が、それから10年近くも生き抜くとは、氏ならずとも思わなかったのだ。
「CMは成功したが、その後の二人がこんな国民的人気者になるとも思わなかった」
大人気を博したのは、それ以後の二人の露出度がタレント並みに多かったからで、傍目にはそれが“高齢者の引き回し”あるいは“コキ使い”とも映った時期があるほどだ。しかし、前出の蟹江美根代さんと成田幸男さんは言う。
「CMに出る時から、ぎんおばあちゃんを食い物にしていると疑われるのがイヤで、出演料は全て福祉関係に寄付することにした。だから母が亡くなった後の遺産も、ほとんどゼロに近いはずですよ」
「うちのきんさんは有名になってから、なぜか外出好きになってね。足を鍛えるために散歩まで始めた。そして全国各地、招待があれば自分から進んで出かけたがった。台湾行きまで承知した時はむしろ、私達が心配したほどですよ」
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