「大阪・関西万博」で高まる“若きプリンセス方”への期待 「愛子さま」「佳子さま」「承子さま」が継承される“万博を通じた皇室外交”の伝統
秋篠宮さまが名誉総裁を務める「大阪・関西万博」がいよいよ4月13日に始まる。
建材価格の高騰や人手不足に加え、前売り券の販売が伸び悩むなど多難のスタートとなるが、来日するVIPとの国際親善に向けた皇室外交には大きな期待が寄せられている。天皇家の長女・愛子さまや秋篠宮皇嗣家の次女・佳子さまといった、若きプリンセス方の外交手腕への関心も高い。
万博を舞台にした皇室外交の歴史を、この機会に振り返ってみたい。
日本開催の全万博で
日本開催の万博(国際博覧会)は、今回の「大阪・関西万博」を含めて計6回。始まりはもちろん1970(昭和45)年の「大阪万博」だ。代々の名誉総裁は、慣例で皇太子が務めることになっており、皇太子時代の上皇陛下がご就任された。今回の秋篠宮さまのご就任も、事実上の皇太子である皇嗣の立場での就任となっている。
「大阪万博」の開会式には上皇・上皇后両陛下と昭和天皇・香淳皇后、三笠宮夫妻がご列席したほか、高松宮夫妻ら、多くの皇族が視察に訪れた。香淳皇后がアメリカ館でアポロ12号が持ち帰った「月の石」をご覧になる姿が写真に残る。また、美智子上皇后が電気通信館で携帯電話を手にし、「浩宮」と呼ばれていた天皇陛下がソ連(現ロシア)館で宇宙船を見学されているご様子を収めた記録映像もある。
1975(昭和50)年の「沖縄海洋博」では上皇陛下が名誉総裁を務められたが、開会式ご臨席のため沖縄を初訪問された際、沖縄戦の戦没者慰霊碑「ひめゆりの塔」で過激派に火炎瓶を投げつけられるテロ事件に遭われる。宮内庁OBは、当時についてこう語る。
「上皇陛下は激戦地として多くの民間人が犠牲となった沖縄に足を運ばれるに当たり、ご自身への危険は十分に覚悟されていた、というのが(宮内)庁内でも定説です。それでも沖縄には絶対行かねばならぬという使命感と、万博という国際親善・平和友好の場を重要視するお考えを背負われた、大変重い旅だったのです」
「つくば科学万博」が茨城で開催されたのは1985年。名誉総裁だった上皇陛下がハイテクの祭典に、当時は「礼宮」と呼ばれていた秋篠宮さまを連れて行かれたのだが、その理由について、赤坂御用地での勤務経験が長い宮内庁関係者はこう回顧する。
「浩宮さまがどちらかというと文系の事象にご興味を持たれていたのに対して、礼宮さまは理系の感覚をお持ちだったので、礼宮さまに科学博を見せたいとのお気持ちが特に強かったように聞いています」
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