【追悼・つば九郎】「インタビューをちょっと盛ると、訂正を求められ…」 亡くなったスタッフが保ち続けた“プロ意識” 「それほどイメージを大切にしていた」
〈つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました〉――。2月19日、東京ヤクルトスワローズはこう発表した。唯一無二の個性でファンを魅了したつば九郎。球団OBが明かす、その素顔とは。
***
【写真15枚】ジャケットを着せてもらい、誇らしげな「つば九郎」 選手と話し込んだり、スルーされたり…在りし日の姿
「本番前の緊張のせいかと思って……」
「着ぐるみを脱いだ時、普段より体が重そうというか、つらそうな様子でした」
そう話すのは、昨年末、CSの番組でつば九郎と共演していた球団OBのギャオス内藤氏(56)である。
「ただ、体調の異変というよりは本番前の緊張のせいかと思って……。それが最後となってしまいました」
最近は、周囲に“急な階段を上るのがしんどい”と漏らしていたつば九郎の担当スタッフの体調が、決定的に急変したのは沖縄でのこと。球団のキャンプに帯同した後、2月4日、帰京のための飛行機に乗り込む際に倒れ、病院に搬送された。が、16日、そのまま帰らぬ人に。死因は肺高血圧症だという。今年52歳になるはずだった。
守り抜いた“つば九郎のイメージ”
つば九郎が誕生したのは1994年。30年以上にわたってマスコットを務めたスタッフは最後までファンに素顔は明かさなかったが、その素性は球団関係者らにとっては当然ながら公然の秘密だったようだ。
スポーツ紙デスクによると、そのプロ意識は並々ならぬものだったという。
「バーで一緒に飲んでいた人が、居合わせた客に“この人がつば九郎の中の人だ”と暴露すると、すかさず“つば九郎ではありません!”と、どこかとぼけながら否定していましたね。また、インタビューを掲載する際、文言をちょっと盛ると、訂正を求められました。小見出しまで“これは言い過ぎだ”と指摘する。それほどつば九郎のイメージを大切にしていました」
球団OBの宮本慎也氏(54)は、こう振り返る。
「彼は何よりもスワローズを愛して、つば九郎の仕事をこなしていました。私が指導者として球団に復帰したとき、誰よりも喜んでくれた。“ありがとう”だけでは済まされない、特別な人です」
2月27日発売の「週刊新潮」では、つば九郎担当スタッフとなった経緯や、関係者が明かす酒豪エピソードを伝える。