このままでは終われない…!プロテクトしなかった“放出球団”を結果で見返した「人的保障の星」選手列伝

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巨人時代は在籍3年で登板わずか1試合

 今回の伊藤優輔が通算15人目の人的補償選手になる巨人は、前出の一岡以外にも、日本ハムでプロ初勝利を挙げた史上初の人的補償選手・川辺忠義や中日で第2の捕手になった小田幸平のように、移籍先で出番が増えた選手も少なくない。

 直近10年間では、2017年に山口俊の人的補償としてDeNAに移籍した平良拳太郎も、その一人である。

 巨人時代は在籍3年で登板わずか1試合の0勝1敗と出番に恵まれなかったが、この移籍は結果的に吉と出た。

 移籍後初登板となった5月10日の中日戦で5回を3安打1失点に抑え、人的補償選手では史上初の移籍後初登板勝利を達成した。「勝つことが(巨人とDeNAの)どちらに対しても恩返しになる」とプロ初勝利のうれしさを噛みしめた。

 その後も翌18年から3年連続先発ローテーションの一角を担うなど、新天地で通算21勝を挙げている。

“根耳に水”のトレード通告

 一方、2014年オフに相川亮二の人的補償としてヤクルトに移籍した奥村展征は、“ポスト坂本勇人”としてドラフト4位で獲得した期待の若手だった。

 当然プロテクトされていると思われたが、巨人側はヤクルトが投手、または外野手を狙っていると判断し、プロテクトから外したといわれる。「まさか高卒1年目で1軍の試合にも出ていない選手が選ばれることはないだろう」という油断もあったのだろうが、その読みは外れ、内外野問わず、将来性豊かな若手野手を欲しがっていたヤクルトへ史上最短のスピード移籍が決まる。

 合同自主トレ先の熊本で“根耳に水”のトレード通告を受けた奥村は「驚いたけど、今はやってやろうという気持ちになっている。チームは変わってもプロの世界で頑張ることに変わりはない。走攻守、すべてそろえられるように頑張りたい」と新天地での飛躍を誓う。

 そして、移籍2年目の16年に1軍初出場。19年に自己最多の74試合に出場するなど、レギュラーにはあと一歩届かなかったものの、内野のユーティリティープレーヤーとしてチームを支え、試合前の円陣では、力一杯声を出してナインを勇気づけた。23年限りで現役を引退し、翌年から楽天の2軍内野守備走塁コーチに就任した。

 150キロ超の速球を武器に昨季2軍で4勝14セーブ、防御率1.29を記録した伊藤は、巨人時代は故障で実力を十分発揮できなかったことから、大化けを期待する声もある。新天地・ソフトバンクでどんな結果を出すか注目される。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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