「冷えた夫婦関係のままでというのも酷…」と語る52歳不倫夫 彼の価値観を変えた“2つの重大事件”とは
なかなか立ち直れなかった浪人時代
結局、朋宏さんは「何か自分にできることがあったのではないか」という思いを拭い去ることができず、その年はすべての受験に失敗した。受験会場にすら行けなかった大学もあった。
「なかなか立ち直ることができませんでした。親友の両親も心配してくれ、1浪目は病院に通うことも多かった。彼と一緒に行った学校近くのカラオケ店や、休みの日に遊びに行った遊園地などへ行ってひとりでぼんやりしていることもありました」
そのうち、親友の声が蘇ってきた。「おまえはしっかり生きろよ」と聞こえたような気もした。親友の両親に会って、がんばってみると伝えることができたのは2浪が決まったときだった。
「そこからは一生懸命、勉強しました。たまに息抜きしているときは彼と話しているような気持ちになりながら」
2浪して受かった大学は私立で、妹の後輩となってしまったが、彼はこだわらなかった。親友の分まで大学生活を謳歌しようと決めたから。大学に入ったら、親友はボランティアもしてみたい、バックパッカーもしてみたいと言っていた。朋宏さんはすべて実行してみた。
「楽しかったですよ。彼の分まで精一杯、楽しんだ。でもそうすればするほど、どうしてここにあいつがいないのかとも考えた。生きられる人は生き抜かなければいけないとも感じましたね」
親友の分まで生きると決めたが…
ボランティアやバックパッカーの経験を、就職の面接で勢いよく話したのが功を奏したのか、「自分の実力以上の企業」に採用された。
「就職して初めて、親友を心の中にしまい込むことができました。僕の人生はそれから始まった。もちろん、いつでも心の中に彼はいますが。社会人になってからは、仕事も大事だったけど恋愛もしましたね。なかなかうまくいかなかったけど(笑)」
学生時代の友人たちとの合コンからの恋愛や職場の同期との恋などもあった。だが、どれも満足はいかなかった。自分が相手になにを求めているのかがわからなかったのだという。
「好きだなと思ってつきあっても、お互いに嫌なところを見ることってあるでしょ。若いときって、それでもうつきあうのもめんどうになってしまう。長くつきあうより、はい、次という感じでした。僕がそうというわけじゃなくて、相手の女性もそんな感じだった。そのうちだんだん恋愛がめんどうになっていきました」
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