日本ハム・新庄監督が投手・山崎福也を「開幕DH起用」へ 意外に多い“投手の強打者”の豪快弾を振り返る

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投手ながら高校時代は“ゴジラ”の異名をとった

 一方、中日・川上憲伸も徳島商時代はエースで4番。鳴門工2年時に夏の県大会で捕手として打者・川上と対戦したロッテ・里崎智也が「この試合でバックスクリーンに先制のホームランを打たれました」と回想するほどの強打者だった。

 中日入団後、2004年5月15日の横浜戦で、0対0の7回2死二塁で打席に立つと、マレンの高めスライダーを左翼席に運ぶ豪快な決勝2ランを放ち、投げては3安打13奪三振の完封勝利。落合博満監督から「自分で投げて打って、昔の大エースの野球だよ」の賛辞を贈られた。

 同年は8月31日の阪神戦でも、2点リードの4回にダメ押しの右越え2ランを放ち、7回3失点で勝利投手に。NPB通算打率は.143ながら、通算8本塁打、29打点を記録している。

 昨季限りで現役を引退した阪神・秋山拓巳も、西条高エース時代は、高校通算48本塁打の強打者として“伊予ゴジラ”の異名をとった。

 2017年8月18日の中日戦で伊藤準規から放ったプロ1号は、ナゴヤドームの右翼席中段に突き刺さる大アーチで、“本家ゴジラ”松井秀喜を彷彿とさせた。

 翌18年5月8日の巨人戦では、2回に左前タイムリー、4回に山口俊から左翼ポール際に技ありのソロを放ち、4打数2安打2打点、投げては5安打完封と投打にわたって勝利に貢献している。

 引退に際し、「打者でも見たかった」と残念がるファンも少なくなかったが、本人は「一度も野手に転向しようと思ったことはなかった」と投手へのこだわりを持ちつづけていた。

相手投手としてはやっかいな“9人目の打者”

 現役では、タイガース・前田健太も、PL学園時代は“桑田2世”と呼ばれ、投打の中心だった。

 広島時代の2015年10月2日の中日戦では、3回1死二塁、若松駿太からプロ2号となる左越え先制2ランを放ち、7回1失点で、リーグ最多15勝目を手にした。

「初球からチェンジアップを狙っていた。絶対決め球が来ると思っていた」という投手らしい配球の読みに、緒方孝市監督は「投打にマエケンでしょう。大したものだ」と脱帽するばかりだった。

 メジャー移籍後も、ドジャース入団1年目の2016年4月6日のメジャーデビュー戦、パドレス戦で4回に左越えにメジャー初安打となる左越えソロを放ち、投げては6回を5安打4奪三振無失点でメジャー初勝利を挙げている。

 広島では前田の後輩にあたる森下暢仁も、明大時代は通算打率.284をマークし、29安打中10本が二塁打という強打者だった。

 昨年5月6日のDeNA戦と6月25日のヤクルト戦で、球団では1985年の川口和久以来、2人目となるシーズン2度の猛打賞を記録。ヤクルト戦は投球数91の2安打完封勝利で、マダックスと猛打賞のダブル達成は、1968年の稲尾和久(西鉄)以来とあって、新井貴浩監督も「打って良し、投げて良し。素晴らしいマダックスを見せてもらった」と絶賛した。

 同年はシーズン通算で47打数11安打3打点、打率.234とまずまずの数字を残し、“9人目の打者”をアピールした。

 意外なところでは、日本ハム、巨人などでプレーした河野博文も、駒大時代は4番ピッチャーで出場し、勝利を決める先制打を放ったことがある強打者だが、日本ハム時代はDH制で打席なし、巨人時代もリリーフ専門だったため、プロ通算8打数無安打とベールを脱ぐことなく終わっている。

 交流戦以外、打席に立つ機会がほとんどないパ・リーグの投手には、“第2、第3の山崎”の可能性を秘めた強打者も、少なからずいるはずだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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