「助けてください」…懇願する被害者の首を、くわえタバコでロープで絞め…「名古屋アベック殺人」死刑を回避した少年少女ら6名の“その後”
1988年の2月23日から25日にかけて、名古屋市内の公園で、交際中の若いカップルが6人組の男女に襲われ、執拗なリンチを受けた末に殺害される事件が発覚した。俗に言う「名古屋アベック殺人事件」である。被告は1人を除いて未成年。その凄惨な犯行が公判で明らかになるに連れ、彼ら彼女らへの憤りと、少年法の不備を訴える声が高まっていった。その翌年3月には東京・綾瀬で、4人の少年による「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が発覚し、その声はより高まっていったのである。
「週刊新潮」では「名古屋アベック殺人事件」一審判決直前、検察による冒頭陳述を基に残虐犯罪の一部始終を記している。また、「新潮45」(休刊)ではその後の加害者たちの人生も追っている。以下、それを抜粋し、改めて少年法の是非を振り返ってみよう。
【前後編の後編】
【写真】破壊され、血が付着した被害者の車と、襲撃現場の公園駐車場
【前編】では、鉄パイプで被害者をめった打ちにした、6名の残虐非道な犯行について振り返った。
被害者は、愛知県東浦町の理容師見習、B子さん(20)と同じ理髪店で働く大府市朝日町のA男さん(19)。2人は親も認めた恋人同士だった。
2人を襲った6人のうち成人に達していたのは暴力団組員の中原一郎(仮名、以下同じ)(20)1人。主犯格の藤原和彦は19歳のとび職、同じくとび職の犬丸公一は17歳、18歳の佐竹安雄は無職、横寺恵美、筒見英子はともに17歳の無職少女だった。
6人が金品を強奪すべく、名古屋市南区の大高緑地公園第一駐車場で2人を襲ったのは2月23日。凄惨なリンチを加えた後、発覚を恐れ、2人を殺害することを決意した6名は、被害者を連れて愛知県弥富町のドライブインに入る。
【後編】では、「週刊新潮」1989年7月6日号を一部編集の上再録し、被害者の最後の言葉と、それを無視した残虐極まりない殺害場面、そして「新潮45」が報じた加害者の「その後」を詳述する(以下、凄惨な事件についての記述があります)。
***
23日夜を待って殺害を実行すると決めた犯人たちだが、A男さんとB子さんを同行するのが重荷になってきた。昼間は人目につきやすいとホテルで過す。中原は自宅に戻り、佐竹も刺青を入れる予定があったので、夜再会することを約束して別行動をとる。
午後5時、藤原ら4人は被害者を連れてホテルを出る。以後は喫茶店、コンビニエンスストアなどを転々とするが、翌24日午前1時40分頃、佐竹に電話をした藤原は、「もう待てん、俺らでやる」と伝える。筒見のアパートにあるスコップを取りに寄り、コンビニエンスストアでビニール製の洗濯用ロープを購入。愛知県長久手町の公園墓地に到着したのは、2月24日午前4時半頃であった。
〈藤原、筒見は右ロープをライターで半分ずつに焼き切った。犬丸は藤原に言われてA男の手を引っ張って下車させ、その両手を前で合わせ、ロープで縛った。A男は「助けてください」と言った。筒見はA男の口にガムテープを貼り付けた。藤原はA男を車から2メートル程連行し、「正座しろ」と言ってA男を正座させ、「お前、今からどうなるか分かっているだろう」などと言った。A男は「助けてください」と言った。藤原はA男が哀願するにもかかわらず、ロープを2重に巻きつけA男の後で交差させ、一方の端を犬丸に渡した。ロープの両端をそれぞれ持ち、綱引きするようにして両方から力一杯引っ張って首を絞めた。2人で、タバコを吸いながらロープを引っ張った〉
[1/3ページ]