少年少女が鉄パイプで、無抵抗のカップルをめった打ちに…1988年「名古屋アベック殺人」が少年法論議を沸騰させた理由
1988年の2月23日から25日にかけて、名古屋市内の公園で、交際中の若いカップルが6人組の男女に襲われ、執拗なリンチを受けた末に殺害される事件が発覚した。俗に言う「名古屋アベック殺人事件」である。被告は1人を除いて未成年。その凄惨な犯行が公判で明らかになるに連れ、彼ら彼女らへの憤りと、少年法の不備を訴える声が高まっていった。その翌年3月には東京・綾瀬で、4人の少年による「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が発覚し、その声はより高まっていったのである。
その後、2000年に少年法は改正され、刑事処分の可能年齢が「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げられた。また、16歳以上の少年が故意の犯罪行為で被害者を死亡させたときは、家庭裁判所から検察官への逆送が原則となった。さらに2021年には、18歳と19歳を「特定少年」と位置づけ、逆送する事件の対象を拡大、また、起訴された場合には実名報道することも可能になった。しかし、その後も少年による凶悪犯罪と、その罰の均衡を巡る議論は後を絶たない。
「週刊新潮」では「名古屋アベック殺人事件」一審判決直前、検察による冒頭陳述を基に残虐な犯行の一部始終を再現している。また、「新潮45」(休刊)ではその後の加害者たちの人生も追っている。以下、それを抜粋し、改めて少年法の是非を振り返ってみよう。
【前後編の前編】
【前編】では、「週刊新潮」1989年7月6日号を一部編集の上再録し、6名の残虐非道な犯行を振り返る(以下、凄惨な事件についての記述があります)。
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【写真】破壊され、血が付着した被害者の車と、襲撃現場の公園駐車場
事件が発生したのは、1988年2月23日午前4時半頃。
名古屋市南区の大高緑地公園第一駐車場に1台の白いチェイサーが止まっていた。乗っていたのは愛知県東浦町の理容師見習、B子さん(20)と同じ理髪店で働く大府市朝日町のA男さん(19)。2人は親も認めた恋人同士だった。
犯行当時、2人を襲った6人のうち成人に達していたのは暴力団組員の中原一郎(仮名、以下同じ)(20)1人。主犯格の藤原和彦は19歳のとび職、同じくとび職の犬丸公一は17歳、18歳の佐竹安雄は無職、横寺恵美、筒見英子はともに17歳の無職少女だった。
中原は前科2犯、残る5人も補導歴がある。彼らは名古屋市栄区のセントラルパークに集まって、暴走したりシンナーを吸ったりして遊んでいる「テレビ塔族」と言われる連中。犯行前夜テレビ塔付近で6人は一緒になった。その夜も2台の車に分乗し、シンナーをやっている。そのうち藤原が遊ぶ金欲しさから「バッカン」に行こうと提案。「バッカン」とはアベックの車を襲い、金品を強奪すること。彼らは同市港区の金城埠頭に向かい、2台の車を襲って8万6000円を手にした。だが、分け前が少ないので「もう2、3件やるか」と大高緑地公園に車を走らせる。そこで目についたのがA男さんとB子さんが乗っていた車だった。
ここから残虐無残な惨劇が始まる。
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