【映画「敵」長塚京三インタビュー】“独居老人”が主人公の異色作が大ヒット 「同年代の友人から“いい仕事したな!”と言われました」
人生の最期にお仕置きが……
帰国後、最初の映画出演のひとつが、「遠い一本の道」(左幸子監督、1977年)だった。女優・左幸子の唯一の監督作品で、左プロダクションと、当時の国労(国鉄労働組合)の共同製作である。北海道の昔気質の国鉄マンの家族が、合理化や人員整理の波に巻き込まれる姿を描く、骨太な力作だ。この年のキネマ旬報邦画ベスト10で、第10位に選出されている。
「この一家の父親が井川比佐志さんで、その娘が市毛良枝さん。その市毛さんの恋人役を演じました。ぼくの故郷が、廃墟になった長崎の軍艦島という設定で、ラストは、そこで撮影されました。日本縦断ロケで、きついけれど楽しかったです」
この映画で、軍艦島の存在が一般にも知れわたった。その後、左プロダクションは解散。国鉄民営化後も、国労は存続していたが、フィルムは行方不明となっていた。だが2008年、東京・杉並の名画座、ラピュタ阿佐ヶ谷が、当時存命中だった、左幸子の娘・羽仁未央の協力を得て奇跡的にネガを発見。ニュープリントがつくられ、一般上映も可能になった。いまではDVD化もされている。スクリーンのなかで、30代前半の長塚さんは、寡黙で知的なたたずまいの営林署の職員を、見事に演じている。
1992年には、「ザ・中学教師」(平山秀幸監督)で、問題生徒と“死闘”を繰り広げる教師を演じ、毎日映画コンクールで男優主演賞を受賞した。
しかし、おそらく多くのひとたちにとって長塚さんの印象が決定的になったのは、1994年のサントリー・オールドのCM「恋は、遠い日の花火ではない」における課長役だろう。部下の女性から「課長の背中、見ているの好きなんです」といわれ、「やめろよ」と照れるものの、つい、ピョンと跳ねてしまう。その後、東芝日曜劇場「理想の上司」に主演したこともあり、そのまま、長塚京三=理想の上司のイメージが強くなった。
そんな長塚さんが「来るものが来た」と感じた映画「敵」では、最初は淡々とした日常が描かれるものの、次第に、少々不穏な雰囲気が漂いはじめる。書斎のパソコンに、「敵は北からやってくる」といった、意味不明のメールがとどくようになるのだ。当初はジャンク・メールかと思い、その場で削除していたが、何回かとどくうちに、妙に気になって……。
まさに作品名である〈敵〉が、忍び寄ってくるのである。いったい、この〈敵〉とは、何なのだろうか。長塚さんにうかがってみた。
「さまざまな解釈があり、ひとによってちがうと思いますが……ぼくは、こんなふうに感じました。いままでノホホンと、いろんなことを看過して生きてきた、そんな甘さに対する因果応報というか、お仕置きみたいなものが、人生の最期にやってきた……そんな気がするんです」
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